其の一 凶つ星

 忌々しい竜王の支族が、和平の証にと目の前に差し出された。六界を支配する六人の竜王の首を狙う男に、いつしか人間たちは凶つ星という名前を付けて、本来の名前では呼ばなくなっていた。もう、百年の前の出来事だ。

 

 竜王たちと『凶つ星』――男の戦いは熾烈を極めた。血で血を洗う百年の戦争の間に竜王たちの力は弱まり、凶つ星もまた疲弊していたのは否めない事実だ。

 

「君は、見棄てられたのか」

 

 齢十八にもならない少女は、魔術を得意とする空の民の生まれだった。竜王に近しい支族の中で、彼女はおよそ熟達の術者とは言い難い面立ちをしていた。恐らく騙されたか言いくるめられたか、或いは竜王に逆らえなかったかのどれかの理由で、彼女は凶つ星の前に捧げられたのだろう。

 

「竜王も人が悪い。空の王ファーレンテイン、穏やかな顔をして中々にえげつないことをする」

 

 空の竜王の一族は、代々鬱金の瞳をしていると聞いた。少女の瞳もまたその色をしていて、中に一筋赤い光が走っている。赤は不吉な色だ。なるほどそれが自分の所にやってきた理由かと、凶つ星は片眉を上げた。

 

「口がきけないのか? それとも気分でも悪いのか……どうにも何か話してくれないことには、生かすも殺すも決めることができないんだがな」

 

 凶つ星は、灰色の髪をかき上げて溜息をついた。瞳だけが爛々と赤い、彼もまた罪科を背負いながら世の中を睨み付けている。傍に立てかけてある剣を取って、凶つ星は少女に嘲笑を向けた。

 

「君たちの国で俺がどんな風に語られているのかはわからないが、人は食わないぞ。君が望むならどこか遠い所へ逃がしてやることもできる――六竜神王の目の届かない場所などどこにもないだろうがな」

 

 凶つ星が殺したいのは、六人の竜王だけだった。それ以外は関係ない。彼らに対する敵意から生まれ出でた彼に、それ以外の目標はないのだ。だからこの少女がそう願えば、どこか竜王どもの知らない場所へ連れて行ってやろうとすら思っていた。

 

 ――たとえそれが、冥府の奥底であろうとも。

 

「殺されに来たわけでも、あなたを殺しに来たわけでもないわ……竜王ファーレンテインは、あなたとの和平を望んでいます」

 

「あの竜王どもが俺と? 冗談を言える状況ではないと思うんだがな。例えあの男が俺と手を取りたいと言ってきても、俺にそのつもりがない以上交渉は始まらない」

 

 それでも少女は力強く首を横に振った。帰る場所がないのだとも語った少女を哀れに思った凶つ星は、彼女を暫く手元で飼うことに決めた。空の竜王の具合を窺うのにもそれが適当だと判断した、ただそれだけに過ぎない。けれども少女はうつむいていた顔をパッとあげ、目をきらめかせた。

 

 恐らく恐怖を覚えていたのだろう、少女はそうして顔を上げるや否や、へなへなとへたり込んで泣きだしてしまった。

 

 竜王は何を思って彼女を送り出したのか――溜息をつきながら手を貸してやった凶つ星は、漠然とそんなことを思っていた。なんにせよ竜王殺す、と口の中で呟いた青年に、少女は力ない笑顔を見せたのだった。