相も変わらず、塩野は校門で僕を待っていた。担任の話が長いせいで、僕はいつも彼女を待たせてしまっていた。ただ水曜日だけは、彼女が僕を待たせる。進学科の彼女は毎週水曜日に補習を受けているようだった。流石に一時間外で待つのは辛いので、そういう時は図書室を利用させてもらっている。案外、あそこは慣れると静かでいいもんだ。

「ごめん、遅くなった」
「別に、いつものことだもの。今更どうも思っていないから安心して」

 ボブヘアの少し形が崩れたような髪型の塩野は、ブレザーのポケットに手を突っ込んで僕を待っていたらしい。ぶっきらぼうな口調は誰に対してもそうだから、別にどうとも思わない。むしろ気楽だった。髪切ったとかスカートあげたとか、そういう気遣いが僕には出来ないからだ。
 ただ、塩野の変化だけには目がいってしまう。どうしたものかと三島に尋ねた時、それは恋だという反応が返ってきた。
 そうすると、もう僕は彼女のことしか考えられなくなっていた。一緒に帰りたいとか休日にデートしたいとか、そういう穏やかな欲求が徐々に積もってきたのだ。

「なあ、塩野。喫茶店って行ったことある?」
「唐突ね。カフェじゃなくて喫茶店? 一応あるけど、それがどうかしたの」
「行こう、今から」

 そうか、カフェという手があったか。

 塩野の言葉を聞いて、僕は地面を殴りたくなった。可愛らしいカフェなんてこの辺にはあんまりないし、そもそもそんな場所僕には無縁だったからだ。しかしそれにしたって、喫茶店は色気がなさ過ぎたかもしれない。
 訝しげな表情で首をかしげて見せた塩野に「何でもないよ」と一応のフォローを入れるが、僕の後悔は止まらない。

「でも、飛岡君に喫茶店ってイメージ通りね。純文学の文庫本でも開いて、コーヒー飲んでるのが似合うわ」
「僕はカフェインに弱いんだ。悪いけど、いつも飲むのはコーラフロートだよ」

 僕の後悔をよそに、塩野はそう続けた。黙ってブラックコーヒーを飲むのがカッコいいと思っていた時代が、確かに僕にもあった。中学二年生ごろだ。しかしどうしても、飲むと吐く。飲んですぐはいいのだが、しばらくすると気分が悪くなって吐く。ちょっとしたカッコつけでは済まされないような目を見てから、コーラフロートを頼むようになった。

「私、メロンフロートが好きよ。一度でアイスもジュースもって、お得な気分」
「うん、僕もそう思う。アイスを溶かしきる前と溶かしきった後で味が変わるのも好きなんだ」

 まあ、何とも幸運だった。普段そこまで塩野と会話が続くことがないのだが(大抵は二人とも黙って歩くだけだ)、たかだかコーラフロートの話題で会話が続いている。
 コーラフロート万歳。そう叫びたかったが、路上なので断念した。目当ての喫茶店はもう少しだから、出来ればそこにつくまで会話を持続させたい。

「塩野は、ベターだけど紅茶とかが似合うね。ストレートよりミルクティーって感じで」
「よくわからない喩えだけど、ミルクティーは好きよ。あまりお砂糖は入れないで、ミルクだけで飲むの。家で入れると手間がかかって面倒だけど、ロイヤルミルクティーも大好き」

 正直に言えば、ミルクティーとロイヤルミルクティーの違いなんて分からない。ただ会話が途切れるのが嫌だという一心で「ああそう、確かに面倒だよね」なんて言ってみるけど、割とどうでもいいというのが本音だった。パンケーキとホットケーキの違いが分からなくてクラスの女子に叱責されたこともあるが、あれと同じようなものだろう。

「ここ、なんだけど。見た目汚いけどケーキはうまいよ」

 行きつけというほどでもないけど、時々顔を出す喫茶店だ。僕の母が小学生の頃からあるというから、結構な老舗なのかもしれない。

「マスターいつもの、とはいかないけど」
「それだと喫茶店じゃなくてバーじゃないの?」

 たしかにそうかもしれない。格好がつかないが納得してしまったので何も言えず、取りあえず僕と塩野は店に入ることにした。錆びついた取っ手を押すと、錆びて音の悪くなったベルがガラガラと鳴る。
 全体的に薄暗くて、客もない静かな店。学生服の僕らはその空間でこれでもかというほど浮いていた。これならファミレスとかの方がまだ気安かったかもしれない。

「僕はコーラフロート。腹は減ってないから、後はいいや」
「じゃあ、ミルクティー」

 昼食を食べた後で運動をしたわけでもなし、僕と塩野は大して腹が減っていなかった。不愛想なマスターがコーラフロートとミルクティーを運んできてくれるまで、僕たちの間には会話がない。
 どこかで聞いたことがあるようなジャズの音色だけが空間に漂っていた。

「あの、さ。単刀直入に言うけど、返事が欲しくて」
「返事?」

 行儀が悪いことは重々承知だったが、何となく何をしたらいいのかわからなくなって、僕はアイスクリームに突き刺さったストローを噛んだ。歯形が付くくらい強く噛んで、緩めてから息を吹き込む。ゴボゴボと不快な音がして、コーラフロートが泡立っていく。

「いやその、こういう事を僕から言うのもどうかと思うんだけどさ」

 我ながら前置きがくどい。
 本当にどうかと思うんなら言わない方がいいだろう。そう気付いたのは、またもや言葉を口に出した後だった。今まで考えたこともなかったが、僕はもう少し考えて喋った方がいいかもしれない。

「僕、告白したんだ。君に」
「……飛岡君が、私に? いつ告白したの」
「一か月前!」

 いよいよ惨めだ。
 思わず身を乗り出して叫んだが、客のいない喫茶店でその声は思ったより大きく響いた。咎めるようなマスターの視線に気が付いて、僕はするすると椅子に戻っていく。
 くそ、こんなのあんまりだ。熱くなった頬に冷えたおしぼりを当てた。オッサン臭いとかは、もうどうでもいい。

「一か月前、僕としては告白したつもりだったんだよ。そりゃ、少しは言葉が足りなかったかもしれないけど」
「私の努力が足りないと?」
「そういうわけじゃないんだけど、うぅん」
「一か月も前の話なんて、覚えてないわ。だって、一月前の夕飯のおかずが何だったかなんて、思い出せないもの」

 確かにそれはそうだ。僕だって思い出せない。
 だが彼女にとっては夕飯のおかずと同じでも、こっちからしてみれば一世一代の告白だったわけで、あの日、やけに渇いた喉の感覚や湿った掌の不快感まで思い出せる。
 僕は半分ほど残ったコーラの中にアイスクリームを沈めながら、情けないほど小さな声で言葉を続けた。

「君と、一緒にいたいって言ったんだ。少し言葉が足りなかったとは思うんだけど、一応僕なりに必死だった」
「うん」
「自分でそういう説明するのって、言っちゃなんだけど本当に情けないな。これなら、本当に薔薇の花束でも買っておけばよかった」

 三島が今の僕を見たら、写真どころじゃなかったかもしれない。
 なんてったって今まで彼女どころか好きな人だってできたことがなかったのだし、熱を放出しようとしない頬を隠そうとしたって文句は言わせない。
 とどめは塩野の、この言葉だった。

「もう少しわかりやすかったら、もっと早く答えることが出来たのに」

 こうなったら、撃沈は確定事項だ。
 溶けかけた氷が空しく音を鳴らした。

 

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