洗いざらしのジーンズに足を突っ込んだ頃、部屋のドアがノックされた。祖父のそのまた祖父の代から立っているというこの家自体は古いものだが、都ノ塚司(とのづか つかさ)の部屋は至極きれいにまとまっている。朝食の準備が出来たとの声に欠伸交じりの返事を返すと、扉の向こうの声は少し呆れたようにもう一度彼女の名前を呼んだ。


「司、また遅くまで起きてたんだろう。また遅刻しても知らないからね」


 外から聞こえる呆れたような声と足跡が遠ざかってやや時間を置いた後、司はするりと部屋から外に出た。まだ朝だというのに、夏の日差しは容赦なく廊下を照り付けている。二階の自室から一階の茶の間に降りると、出来たての味噌汁の香りがした。


「おはよ、マノギ様。志津真(シヅマ)さん」

「おお、そなたも志津真に叩き起こされたか。まったくあのように騒々しい起こされ方をすれば夢見も悪くなるというもの。もう少し気を回さぬか。なあ司?」


 志津真と呼ばれた青年は、呆れたように薄く整えられた口元の髭を撫でた。妙にエプロンが似合っているのはおそらく気のせいではないだろう。


「君たちが俺に頼らずに起きてくれれば何も苦労はないんだけれどね。特にマノギは夢なんて見ないだろう。ほら片付かないから早く食べる」


 茶碗に白米を盛って司の前に出してくれた志津真の他に、茶の間にはもう一人青年の姿がある。まるで塗りつぶしたかのように白い髪と、日焼けのひの字も知らないような白い肌。その中でぽっかり空いた黒い瞳をニヤリと歪ませて、マノギと呼ばれた青年は胡瓜の漬物に手を伸ばした。


「やれやれ、年寄りはうるさくてかなわぬな。司、醤油を取ってくれぬか」

「え、マノギ様漬物に醤油かけるの? 高血圧で倒れても知らないよ」


 そんなことはないと分かっていながらも、司は茶化すようにそう言って醤油を手渡した。病気になることもなければこれ以上老けることもない、マノギという青年はそういう存在だ。


「齢千を過ぎた君にじじい扱いされるとはね……否定はしないが、いい気もしないよ。神格というのは年じゃないんだと嫌というほど思い知らされる」


 テレビの占いコーナーをチェックしてラッキーカラーを確かめていた志津真は、そう言って麦茶の入っているボトルを傾けた。確かに見た目だけならば、志津真の方がマノギよりも少し年上に見える。しかしまた彼の姿も、司から見ればはじめて出会った時から一つも変わらない。恐らく彼女が老いてその生涯に幕を下ろすその時でさえ、この二人の外見は皺一本とて変わることはないだろう。


「いくら一限がないからっていつまでももたもたしてないで、忘れ物のないようにするんだ。もう筆箱忘れたとか教科書ないっていっても持って行ってあげないからね」

「わかってるってば。あのね志津真さん、私もう大学生なの。原付運転できるし、必要なものがあるなら買いに行けるから心配しないで」


 そう言うと司は煮物と一緒に白米を掻きこみ味噌汁で流し込んだ。よく噛んで食べろと母親の様な注意が横から聞こえてくるが、これもこの六年でそれこそ死ぬほど聞いているセリフである。レタスとトマトのサラダとグレープフルーツを食べ終えた司は勢いよく手を合わせると、そのまま立ち上がった。


「ごちそうさまでしたっ!」

「はいお粗末様でした」


 志津真がそう言うや否や、司は足早に茶の間の奥にある仏間に向かった。母屋のように広くはないが物もなく開けたそこには、小さな黒塗りの仏壇が一台、ぽつんと置かれている。中には二柱の位牌と写真立て。若い男女が隣り合って笑っているものだ。


「お父さん、お母さん、あとおじいちゃん。おはようございます。今日も一日頑張るので、あんまり心配しないでください」


 そう言ってリンを鳴らして手を合わせる。写真の中で笑っているのは、六年前に他界した彼女の両親だ。記憶の中の二人も、隣の母屋に住んでいる伯母から聞く話でも、両親はいつでも笑っていたらしい。いつもと同じように手を合わせた後、司はまた立ち上がって写真に向かって手を振った。


「それじゃ、行ってきます」


 そう言ったところで仏壇から返事が返ってくるわけでもないし、返ってきたとしたらそれはそれでなかなかの恐怖体験だ。それでも二人がいなくなった時から行ってきた習慣を変えることは、恐らくないだろう。まだのんびりと食事を続けているマノギと経済のニュースを見ている志津真の横をすり抜けて、茶の間を抜ける。すると背後から志津真の声が追いかけてきた。


「そういえば今日、バイトには行くのかい? 俺とマノギは今日と明日頼まれてるから、帰りが遅くなるけど」

「えーと、うん。今日は四時から九時まで。二人いるんなら一回帰ってきて、原付置いてくよ」

「そう。帰りに浅香さんから買い物を頼まれてるから、ついでに寄っていこうか。それでいいねマノギ?」

「うむ? こなたは一向に構わぬが――しかし面倒よな。いっそ空でも飛ぶか」

「空飛ぶ人間としてゴシップ誌にスクープされたいなら好きにすればいいさ……」


 呆れ果てた志津真の声を聴きながら、今度こそ司は二階に上がり、鞄を取ってもう一度下に降りる。この辺りでは移動手段が原付というのもそう珍しいことではないし、なんだったら実家の軽トラックで大学まで来ている人間も少なくはない。ただ司が間借りしている一軒家は母方の伯母――清條浅香(せいじょう あさか)が所有している家の離れになるので、駐車場までは少し歩かないといけないのが少々面倒だ。


暑いからかまだ庭先には出ていない伯母の様子を考えてから、司はようやく愛車にエンジンをかけそのまま走り出した。ちょうどまだ時間も余っているし、祠に寄ってみてもいいかもしれない。

 



 この小さな町で「清條家」と言えば、多くの老人が深く頷くだろう。「マノギ様の」と呼ばれることも少なくないし、若者からは「あのやたら大きな家」と形容されることも多々ある。家自体は古くからある庄屋の家系らしいが、それにしたって些か大げさである。引き取られたばかりの司もそこには驚いたし、既に鬼籍に入っている祖父が生きていた時も、大掛かりな祭りの際は町長や町議会議員よりも先に彼に一言貰うのが通例となっていた。


 麻野木町。それがこの小さな町の名前だ。通っている大学は隣町だし、コンビニも界隈に一軒しかない。周りを見渡しても森と田んぼと畑しかないこの町で、とにかく清條家というのは妙な権力を持っていた。

 ――それの正体が、恐らくコレだ。


「おはようございます、こっちのマノギ様」


 道路脇に原付を止めて、やや深い林の中に足を踏み入れる。既に何度も人が通って出来た道を踏みしめていくと、そこには小さな祠が一つ。お酒とちょっとしたおつまみやお饅頭が置かれたそこは、「マノギ様」と呼ばれるこの地の神様を祀ったものだ。


「とりあえずこれが今日のお供えです。漬物に醤油かけるのはあんまりよくないと思います」


 祠の前で手を合わせて、祠の屋根に乗っていた木の葉を取ってやる。普段からよく手入れされているのが分かるほど、それ以外は殆ど綺麗なままだった。毎朝司が掃除している以外にも、信心深い周囲の人々がこれをよく掃除していってくれるのだ。お饅頭の類も恐らくは彼らが置いていったものだろう。ここに祀られている神もまたそれを喜んでいるに違いない。家で美味そうに朝食を食べている姿を思い出して、司は小さく笑みをこぼした。


 比喩で何でもなく、マノギというのは正真正銘の神様である。

地霊と呼ばれる、この地に根差した神様。麻野木というこの地名の元になった地域密着型の神様は、元々は人間だった。それが千年の時を経て信仰を集め、清條家の人間がその祠を管理している。その縁あってか現在彼は人の姿を取り司の家に居座っているわけだが――そこら辺の理由は彼女にもよくわからなかった。


「マノギ様って喋り方は立派におじいちゃんですよねー。そこら辺志津真さんより年寄りくさいと思うんだけど、どうなんでしょう」


 人型のマノギの実家、或いは本体とも言うべき祠に向かって独り言ちるが、やはり返答は帰ってこない。

マノギが地霊ならば、志津真はあれで彼よりも年上。元は神としての格もさらに上の水神である。元々は人に近い中間管理職的な立場の神様だったのだが、ある事件がきっかけで神としての権限は大幅に制限されてしまった。大きな信仰の地盤があるこの地では、恐らく今はマノギの方が力が強いだろう。


家に神様が二柱という現状にも司はもう慣れてしまったし、彼らは別に信仰を強制してくるわけでも家にある仏壇を目の敵にしているわけでもない。クリスマスにはチキンも食べるし頼まれればバイトにも顔を出す。元人間のマノギからしてみれば、神と人の垣根などそう無理に気にするものでもないらしい。


「あ、もう時間なんで、今日はお暇します。また明日の朝お掃除しにきますね」


 もう一度祠に軽く手を合わせて、司は原付を止めてある林の外側に出た。既に太陽はその光を強くしており、朝の涼しさはどこかに消えてしまったようだ。

 大学に着くまでにいくらか考える。内容はおよそ今晩の夕飯がオムライスだとか、バイトのシフトだとかの他愛無いことではあるが――見ないようにしていたカレンダーを思い出して、司は溜息をついた。涼やかながらも僅かに乾いた熱を孕んだ風が、夏の訪れを告げている。



 

 講義といっても、この日は二限と三限しかなかった。特にこれといって予定がない司は図書館でゼミの課題を終わらせた後、また原付にまたがってバイト先を目指すことになる。

 彼女が働いているのはカフェ・アルボスという個人経営の喫茶店だ。元々高校生の時に伯母の友人に店を手伝ってくれと言われて、それからずっとそこで働いている。店長が不思議な人で、マノギや志津真についてもある程度の理解があった。


「おはようございま――あ、志津真さん」

「おや司。早いね、まだ三時だけど」

「思ったより時間余っちゃって。先になんか食べようかな」


黒のギャルソンエプロンを付けた志津真は、静かな店内でひとりグラスを磨いていた。どうやら今日は店長が留守であるらしい。

店長は幾つかの事業を展開している女性実業家で、この喫茶店経営も彼女の数ある職業のうちのひとつである。故に在店していない時も多いが、そういう時は決まって志津真かマノギのどちらか、或いは両方が店長代理として呼び出されていた。


「あれ、マノギ様は?」

「土地神に店番をさせるとは何事か、とか言ってどこかに行ってしまったよ。商店街でコロッケでも食べてるんじゃないかな?」

「またか……なんていうか、セコい神様だなぁ」

「そこが彼の人間らしさというか、人に信仰される理由なのかもしれないけどね――パンケーキでいいかい?」


 それでいいと司が頷くと、早速志津真が料理に取り掛かる。家でも朝食を作る彼の手際はよく、自家製のジャムと生クリームを添えたパンケーキはあっという間に彼女の前に用意された。


「今日はあんまり入りも多くないし、忙しくはないかな。本当にただの店番だから、マノギがいてもいなくても大したことはないんだけれど……君がカウンターに入ったらちょっと呼び戻してくるよ」


 一応、マノギが地霊だということを知っている人間は限られている。彼が生きた平安時代ならともかく、今は二十一世紀平成の世。妙な喋り方をしているだけでも厄介なのに、自称神様なんて痛々しいにもほどがある。志津真と違ってその辺の事情を理解しようとしているそぶりも見せないマノギは、ここでは麻野恭介、通称マノギさんと呼ばれていた。


「あと焼き菓子ちょっと用意してあるから、後でバスケットの中に追加して、お昼の売り上げ計算……くらいかな。今日は本当に平和だよ」


 パンケーキをたいらげた司は志津真から指示を聞くと、奥の更衣室に入ってエプロンをつけた。この小さな店が忙しくなるのは都度の行事くらいであるし、やってくるのも若い人というよりは暇を持て余したおしゃべり好きの老人方であることが多い。売り上げが上がるのかとちょっと不安になるくらい暇な日もざらにあるので、こういう日は壁に掛けたテレビを見ているだけでよかった。


「じゃあバトンタッチ。俺はマノギを探してくるから、君は店内の諸々をお願い……すぐに帰ってくるようにするから」

「了解、いってらっしゃーい」


 ヒラヒラと手を振って出ていく志津真を見送った司は、言われたとおりレジの計算を始めた。とは言ってもそれもそう時間がかかるわけでもなし、焼き菓子の補充もテーブル拭きもすぐに終わってしまう。

「んー、これは確かにヒマ、かも……」


 人気のなくなった店内に、テレビの中の笑い声だけが響いている。恐らく志津真セレクトだろう情報番組では名物司会者がゲストを弄って笑いを取っているところで、内容はなんてことない、芸能人の破局だとか、そういうところだ。

 やがて志津真がマノギを引きずって帰ってくる頃には、その情報番組も終わって夕方のニュースが始まっていた。この近くで頻発していたひったくりが、勇気ある大学生の手によって逮捕されたらしい。


「へえ、この人君の大学の人間じゃないかい?」

「え? うそ、……ホントだ。伊織くんって、同じ学部の人だよ。たまに話すけど……どっちかっていうと大人しい感じの人っぽいんだけど、へぇ、凄いね」

「大人しい? どこが大人しいのかえ。こなたにはそう見えぬがな。この男腹の中身は相当黒いぞ」


 警察署の署長に感謝状を貰ってはにかんでいる青年は、よく講義で見かける彼そのものだった。時折図書館で本を読んでは寝こけている姿からはなかなか想像がつかない武勇伝をもってしまったらしい。


「えー? 伊織くん見た感じすごくいい人だけど。ていうか、そもそもマノギ様どこで油売ってたの」

「なに駅前商店街のトメがな、こなたを見るや否やコロッケを食べて行けとうるさいものでの」

「夕飯食べられなくなっても知りませんからね」


 細い見た目に反して食い意地の張っている土地神に一瞥くれて、司はふいと扉の方を見た。ちりん、と扉に付けられた鈴が控えめな音を奏でる。


「いらっしゃいませ」


 僅かに開いた扉の隙間から、のそのそと人影が中に入ってくる。一瞬司も近所の婦人会の方々かとも思ったが、どうやら違うらしい。顔を覗かせたのは近くの中学の制服を着た一人の少女だった。


「あ、あの。斗貴(とき)さんにここに来るようにって言われて……」

「店長に? あ、いえどうぞ。座ってください」


 こういう店に入るのに気が引けるのか、はたまたカウンターで腕を組んでいる二人の男性のせいなのか。少女はなかなかもたついて中に入ってくることが出来ない。しびれを切らしたマノギがその傍まで歩いていくと、今度は跳ねあがらんばかりに驚かれてしまった。


「な、なんじゃなんじゃ。こなたは化け物かえ」

「似たようなものだろう……大丈夫、斗貴さんに言われたんなら事情は大体わかってるから、怖がずに入っておいで。ここに来たことで先生に怒られたりとかはしないから」


 さも心外だと言わんばかりに口を尖らせたマノギを押しのけるようにして、志津真が穏やかな口調で話しかける。

 すると少女の方も少し落ち着いたのか、ゆっくりとした速度でカウンターまで歩いてきて、司の目の前の席に座った。


「オレンジジュースでいい? それとも紅茶?」

「あ、いえ私……あの、ご相談があって」

「斗貴さんの紹介でしょ? そういう人には一杯ごちそうしてって店長から言われてるの。遠慮しないで」


 斗貴さんというのは、この店を経営しているオーナー兼店長の女性である。他にも幾つかの飲食店の経営や怪しげな占い師じみた仕事も請け負っているため、こういうお客は少なくない。

 注文されたアイスティーを淹れながら、司は少女の格好をもう一度軽く眺めてみた。制服は麻野木第三中学、このすぐそばにある中学校のものだ。そんな少女が店長に占いを頼んだとは思えないが、そこは何か理由があるのだろう。


「えっと、斗貴さんからはなんて言われてここに来たの?」


 出来るだけ相手を怖がらせないように、極力優しい声を作ってみる。司も自分の声が同年代の女性と比べるとやや低めであるという自覚はあるので、接客時は少々声を高めに作るようにしていた。


「その……探し物をしていたら女の人に呼び止められて、ここに行くようにって。名前を出したら話を聞いてくれるからって、名刺も……」

 

 普通中学生に名刺渡すか。

 相変わらず自分の気の向くままに生きている店長を思い浮かべて、司は何とも言えない笑みを浮かべた。彼女は下手をすれば、このマノギよりも自由人だ。


「探し物って、一体何を探していたのかな。ここに来たところで俺達が何かできるとも思えないんだが……」

「え、えぇっ! そうなんですか……?」


 何をどうしようもない。そういう志津真の言葉に、少女が声を上げた。


「そうなのもなにも、何を失くしたのかを言ってもらわねばな、こちらとて何を探せばいいのかもわからぬ。まずそなたの名を名乗りや」


 椅子に背を盛られさせる形で立ちながら、マノギは少女にそう問うた。他人が見れば偉そうなことこの上ない口ぶりと姿勢だが、それでも少女はじっとカウンターの木目を見ながら名前を答える。声は、先程よりはしっかりした響きを持っていた。


「齋藤、嘉穂です」

「嘉穂か……して、何を失くした」

「水色の髪留め、を。プラスチックの装飾の中に、星形のビーズがいくつか入ってます。遠くに引っ越した友達からもらった、大切な物なんです。それがこの前の、学校の炊事遠足で失くしてしまって……物自体はありふれたものなんですけど、なかなか会えない友達にもらった本当に大事な物、で」


 それからぽつぽつとその髪留めについての思い出を語り始めた嘉穂だったが、話を振ったマノギは早々に飽きてしまったらしい。テレビのお笑い芸人にその興味を移し始めた彼の代わりに、司と志津真が相槌を打ちながらその話を聞く。


「その炊事遠足って、どこに行ったの? この近く?」

「隣町の、蔵越山です。学校に行くときはあったのに帰ってくるときにはもうなくなってて……山の中に落としたんなら探しようもないし、でもどうしてもあきらめきれなくて」

「蔵越山か。なるほどそう高くはない山だけど……広いね。ハイキングルートでもかなり歩くだろう」


 午前中から歩き始めても、正午には頂上に着くほどには歩きやすい山だが、それゆえに人の出入りも激しい。特にこの季節はハイキングルートの脇に花も植えられて、写真や登山が趣味の人間も多く訪れている。そういった人々に拾われていても、なんらおかしくはないだろう。


「もうだめかなって思ってた時に、斗貴さんに出会ったんです。それでこの店にって……都ノ塚さんって人が探してくれるからって」

「え、いや都ノ塚は私ですけど……」


 勝手に名前を使われたあげくに探すとまで約束させられてしまった。

 藁にも縋るような思いでこの店にやって来た少女を追い返すような真似は出来ないが、それでもひどく面倒なことを押し付けられてしまったと溜息をもらすくらいは許されるだろう。

 どうしたものかと首を傾げる志津真の向こう、お笑い番組を見詰めるマノギに、司は声をかけた。


「マノギ様も黙ってないで何とか言って下さいよ」

「ふむ、よかろう。その髪留め探してやろうぞ。蔵越には知己がいる」

「え、マ、マノギ様?」


 テレビから一切視線を外すことなく、マノギはそう言って退屈そうな欠伸を一つ。


「本当ですか? 本当に見つかります?」

「見つかる、とは言うておらぬ。あくまで探すと言うたのよ。故に期待せず待つがよい。それ茶が薄くなるぞ、さっさと飲んで今日はもう帰れ――外も暗い」


 傲岸にそれだけ言い放つと、嘉穂は既に暗くなりはじめた外の様子を見て一気にアイスティーを飲んだ。マノギの言葉は決してやさしいものではないが、それでも探すというその一言が少しでも救いになったらしい。

 空になったグラスを片付ける司と志津真に頭を下げると、彼女は先程よりよほどしっかりした足取りで帰っていった。


 夕暮れの寂しげな時間が終わると、当たりの雰囲気も一気に寂しげな物へと変わる。この時間に客がいないとなると、後は八時半の閉店まで誰も来ることはないだろう。諸々の雑事を片付けても九時には上がれると踏んだ司は、冷蔵庫に入っている緑茶をグラスに開けた。


「マノギ様、無責任にあんなこと言っちゃってどうするんですかぁ」

「なに心配は要らぬよ。芦雪(ロセツ)という大鴉があの辺りに住んでいてな、五百年ほど前に世話をしてやった。それに志津真の水鏡があれば、失せものなど探すのは容易であろうて」


「勝手に人の力をアテにするのはやめてくれるかい……? いや、確かに探すのはそう難しいことでもないんだがね」

 テレビのリモコンを取ってチャンネルを天気予報に変えると、マノギからやめろと抗議が飛んだ。あれで真面目に見ていたらしいが、志津真はそんなことお構いなしに予想天気図に目を向ける。


「三日後に雨。このところ晴れが続いていたから、俺も少々疲れていたんだよ」


 降水確率九十パーセントの予報を見つめた志津真はにっこり微笑み、口を尖らせるマノギにチャンネルを返してやる。雨が上がるはずの四日後――つまり土曜日が、嘉穂の探し物を探すその日に決定した。

 

             

 

 予報通りの土砂降りの金曜日が明け、土曜日。離れの縁側に溜まった水たまりに顔を映す志津真の姿が朝から見受けられた。朝食を作り終えた後なのか、水色のエプロンをつけている。


「おはよう志津真さん……あ、嘉穂さんの髪留め探すの?」

「うん、久しぶりだからどうにも勘が取り戻せているかどうか不安だったんだけれど、上手く映ってくれたみたいだ。見てごらん司」


 寝間着代わりのTシャツ姿のまま、司はサンダルをつっかけて志津真の隣に陣取った。昨日降った雨が作り上げた水たまりが、静かに渦を巻いている。


 志津真が水神としての力を使う所を見るというのは、司もあまり機会がない。権限と能力の殆どを剥奪された志津真は今、神としては絞りカスのような存在であると自称していた。


「おう志津真よ、失せもの探しは捗っておるかえ?」

「おはようマノギ。今から覗いてみようかなって思って」


 志津真が渦を巻く水たまりを指さすと、マノギも司の隣にやってきて同じく水たまりを覗き込む。志津真が使うのは、水を媒体にして任意の場所を覗き込むことができる水鏡だ。


「えぇと、齋藤某の髪留めを示したまえ。おおよそ場所は蔵越山だそうだから、そこを重点的に頼むよ」


 部下に指示を飛ばす上司の様な口調でそう言うと、水鏡はゆらゆらとその水面を揺らし、やがてそれは鏡の様な反射を放っていく。

 ややしばらく、時間にして三、四分はそうして揺れていた水面が、ある一点を映してぴたりと波紋を止めた。鬱蒼とした木々が映し出されたそこから志津真が視点を変えれば、鳥の巣のようなものが見える。


「きた、かもしれない。詳しい場所は……だめだ、掴めない。ただ恐らく頂上付近か」

「芦雪の干渉が強くあればそなたの今の力では探り当てられぬかもしれぬぞ。やはり実際出向いてこなたが彼奴に聞き及ぶが吉か。司、支度をせよ」


 マノギが水たまりを覗き込んで顎を撫でながら、司に指示を飛ばす。ただの水たまりに戻っていく水鏡の処理をしながら、志津真も出かけるのならばと首を鳴らして着ていたエプロンを脱ぎ始めた。


「は、はい。分かりました――二人とも電車でいい? 特にマノギ様空飛ぼうとか言わない?」

「飛びたいのは山々ではあるがの、蔵越は芦雪の領域。如何なこなたとて、他の地霊の縄張りに無礼を働くことは出来ぬよ」

「あ、無礼っていう認識はあったんですか……」


 とはいえ先に朝食を食べなければならない。

 既に志津真が用意していた朝食を食べた後、三人は安全に電車で隣町まで向かうことになった。

 

 蔵越山の大鴉、芦雪というのは、マノギ同様土地を守る地霊であるらしい。五百年前に翼が傷つき麻野木の地に落ちてきたところを介抱してやったとマノギは言っていたが、それが真実かどうかはその芦雪に直接聞かねばわからないことだ。

 電車に乗って山のふもとまでやって来た司は、志津真とマノギそれぞれの顔を見合わせて首を傾げる。


「マノギ様、その芦雪って神様はどこにいるんですか?」

「頂上から呼べば顔を出すであろう。どこにいるかははてさて、とんと見当がつかぬ。ここは麻野木ではないからの、探すにしたってこなたの力も及ばぬのよ」


 そう標高の高い山でもないので、ハイキングルートをしばらく歩けば頂上に辿り着く。

 早速整備された道を歩いていくと、丁度下山してくる人々とすれ違う。マノギの容姿が珍しいのか、何人かの女性は彼をじっくり眺めてから顔を寄せ合った。


「マノギ、大丈夫かい?」

「なにを今更。髪が白いことが気になるのならばもう慣れたわ。それより司、そなたは大事ないかえ? 女人の身で山を登るは辛かろう」

「それこそ今更ですってば。別にこれくらいなら登ったことありますし」


 傾斜もそう急ではないし、飲み物を飲みながらでも登る余裕がある。そう伝えればマノギは顎に手を当て、「そうか」と呟いて足早に登山道を登り始めた。道の脇に植えられた花々が目を楽しませてくれるが、三人にとって景観など二の次だ。何はともあれ、頂上から芦雪を呼ばねばならない。その大鴉が呼びかけてくれるという保証はどこにもないにしろ、だ。


「麻野木を離れたからね、マノギが気を張っているのはそのせいかもしれない」

「そうなの?」

「俺は元々属する地域がないけれど、あの土地は彼の子供であり、家のようなものだ。彼を奉る立場の君が側にいるからまだいいが、いなかったらどうだろうね」


 志津真はつらりとしてそう言うと、足は大丈夫かと手を差し伸べてくる。どうやら彼らにとって、山に登るというのはとんでもない修行か何かのような認識があるらしい。問題はないと司が告げると、彼は一歩下がって彼女の後ろについた。


「私って、いるのといないのでそんなに違うの?」

「違うとも。マノギにとって君は持ち運びできる祠みたいなものだ。地霊はそこに住んでいる人間が側にいるだけで力を得ることができるのさ。彼のように未だに篤く奉られている存在ならばなおのことね。君が清條家の人間であるということも、また大きいが」


 言い換えれば携帯ハウスか。

 そんな大それたものではないにしろ、自分がマノギにとって完全にストラップ感覚の玩具ではないということには安堵を覚える。生前の祖父の約束通り気付いた時には祠を掃除しているが、彼の後継として司が行っているのはそれくらいだ。


「如何した司、志津真。早うせねば置いていくぞ」

「あ、待ってマノギ様!」


 少し歩いただけで頂が見えてくる。それに気を良くしたのかマノギが歩調を早めるので、司と志津真もそれについて小走りにならざるを得なかった。


「ふふん、あの化け鴉め。ここ三百年こなたに挨拶もないとは無礼にも程があると思うておったのよ。おい芦雪、早々に姿を見せ!」


 空に向かって、マノギが吼える。

 しかしかなりの声量で声を上げたにもかかわらず、他の登山者は誰も彼のことを見向きもしない。それどころか彼の外見に惹かれて窺うようにそちらを見ていた人々も、最初からそんなものは存在しなかったかのように一直線にハイキングルートを下っていく。


「一体何の騒ぎだ。不躾に呼ばれたと思い来てみたら――マノギ殿ではないか」


 羽ばたきの音が低く、低く。

 羽に斬られて渦巻く風が、司の短い髪をなびかせた。


「おう、久しぶりよなァ芦雪よ」


 そこに顕現したのは、成人男性のマノギよりも少々大きな鴉である。黒々とした羽を折りたたみ彼の眼前で頭をもたげた鴉は、言葉を喋るようにくちばしをカチカチと鳴らした。


「何用だマノギ殿。人間の小娘なぞ連れて……非常食か」

「非常食!?

「違うわ戯けが。今日はそなたに頼みが合ってここに来た。そなた、おなごが使う髪留めを知らぬかえ? 失せもの探しの用を受けての、今朝方ここにある志津真が水鏡の儀を行った際にここにあるとの応えがあったのよ」


 大鴉の姿もまた、マノギのそれと同じように他の登山客には見えていないらしい。芦雪は翼を折りたたんだままゆっくり目を閉じると、頷くような仕草を見せた。


「それはヒトの子が、我が贄として捧げたものではないのか? 確かに我はマノギ殿に大恩ある身なれど、この山の供物は即ち我の所有物である」


「まあ、そうであろうな。そなたの為に捧げられたものを横からよこせとはこなたも言わぬよ。その代わりに何か他の物を捧げようか。そら司よ、そなたも何か持っているであろう? 嘉穂の言ったような髪留めの類が」

「え、私?」


 いきなり話を振られた司は、もだもだと両手をまごつかせながら背負ってきたリュックサックの中を探ってみた。生憎幼いころからショートヘアで二十年近くを生きてきたため、髪留めなどは使ったこともない。精々高校生の時に買った、お洒落目的でのシュシュが三つ四つあるくらいだ。


「家に帰ったら私のシュシュあるけど、それじゃ駄目ですかね。えーと、芦雪様?」

「駄目だ駄目だ。我はあの髪留めに込められたヒトの子の思いが欲しいのよ。ヒトの子同士のつながりが薄くなった今、あれほど強い思い出が込められた一品はなかろうて」

「鴉は光り物が好きだとは知っておったが、何とまあ珍品を欲す化け鴉もいたものよ……さてどうするか」


 これは困ったとマノギは頭を掻き始め、司もそれ以上の提案が見当たらずに首をかしげるしかない。唯一黙ったままだった志津真は、何度か瞬きをしたのちに自分のポケットを漁り始めた。


「贄として差し出すのであれば其処の小娘でも構わぬがな。いや本来ならば得難き珍品、五百年前マノギ殿に頂いた恩義に免じてヒトの子一匹で手を打ちましょうぞ」


 名案だと手を叩かんばかりに声を高くした芦雪に、司の体が震えあがる。贄というのはつまり生贄ということか。化け鴉が山から下りてきて「村の生娘を差し出せー」とかそういう、昔話にありがちな展開になりつつあるのはその辺の事情に詳しくない司でも理解できる。


「ろろろろろろ芦雪様! 私なんて食べてもあんまり美味しくないと思いますよ!」

「しかし若い娘と言えば肉も柔らかく血も甘く、何より生娘となれば神性も備わっているぞ」

「そんな、神様の物差しで言われても困るし――」

「我とてヒトの物差しで物を言われても困るのだよ。いきなりやってきて供え物をよこせだの贄を拒否するだの、眠りを叩き起こしておきながら些か不躾ではないか」


 はっきりとした口調でそう言われて、司は思わずたじろいだ。

 ものの考え方がまるで違う。価値観の違いなど個々人でも多く見られるのに、ヒトと神のそれが完全に合致しているなどとは到底思えなかった。


「でもそれは齋藤さんの、友達からもらった髪留めで」

「赤の他人のお前がどうしてそれに固執する。言ったであろう、人の強いつながりこそが我が欲する至宝の品であると」


 故にそれを手渡すならば、対価の品をよこすがいい。

 突き放すように言い放ったその言葉に、司は愚かマノギも何も言い返せない。神には神の道理があると、マノギは知っているのだ。


「それは困るな……齋藤さんには頼まれてしまったし、司を君に差し出すことも出来ない。彼女は清條の当代なんだ。まだ次代もいないのにマノギを奉る人間がいなくなるのは困るだろう」


 でも、だって。呆然としたまま意味もない言葉を紡ごうとした司の口を塞いで、志津真がようやく声を出した。ポケットに突っ込んだ手を空に放した。閉じた手のひらの中から、淡く七色に色づいた小さなシャボン玉のようなものが零れ落ちてくる。


「これは一体……」

「俺も故ある身でね。その昔上司――龍神様から頂いたものなんだ。天気と、その神の持つ能力に合わせて色が変化する。今の俺が持っていても仕方がないし、一応珍品ってことで受け取ってはもらえないかな?」


 恐らくそれは、至宝と呼べるものなのかもしれない。

 現に光り輝くその球体を見た芦雪は目をきらめかせているし、マノギですらうっとりとした溜息をつくほどだ。人間の司から見ればただのシャボン玉かビー玉のようにしか見えないが、龍神から賜ったという逸話相応に価値のあるものなのだろう。


「な、なにゆえ御身は我にこのような……龍神様から宝玉を頂くなど、さぞかし高位の神であるとお見受けするが……」

「いや、いわゆる中間管理職さ。今は左遷されたちゃったけどね」


 志津真は困ったように笑うと、幾つかの宝玉を芦雪の目の前に浮かべてやった。すると途端に、虹の色をしていたそれが藍色へと変化する。


「いかがかな。ヒトの子の感情とまではいかないが、気に入ってもらえるといいけれど」


 その場の支配権はとうに芦雪から志津真に移っていた。

 空は晴れ渡っていて風も心地よく吹き抜けているというのに、どこかひんやりとした感覚が背筋に迫る。思わず身を固くした司がマノギの方を見ると、彼はばつが悪そうに頭を掻いていた。


「何を珍しいことがある。本来志津真はこなたよりもよほど高位の神よ。麻野木の地にあればこなたの方が力が勝るが、零落しようともあれは龍神直属の水神。芦雪を屈服させるくらいなら造作もないことよ」

「う、うえぇ……? 志津真さんそんなすごい神様だったの」

「そなた志津真と幾年時を共にしておる。ただ水鏡が使えるだけの主夫ではないのだぞ」


 無事に宝玉と髪飾りを交換してもらった志津真はそれを持って司の元にやってくる。司は一方で、どうして志津真がそんな大切な品を芦雪に譲ってしまえたのかが不思議でならなかった。


 確かに芦雪との問答は上手くいかなかったけれど、それにしたってもう少し別の方法があったかもしれないのに。


「はい、これ返してもらったよ。今度齋藤さんにお店に来てもらわないとね」

「ありがとう志津真さん。でもその、上司さんからもらったっていうのは……」

「うん? ああ、気にしなくていいさ。元々上司が気に入った人間か女神がいたら渡して機嫌とってこいってよこしたものだし、今の俺には必要ないんだ」


 司の手のひらの上に、小さな髪留めが落とされる。嘉穂が言った通り、水色のゴムとプラスチックの装飾、その中には星形のビーズが散らばっている。やや汚れてしまってはいるが、壊れたりちぎれたりしているところは見当たらない。


「司も、数百年生きた地霊相手に口先だけでどうにかしようっていうのは、多分無理だと思うよ。その辺は賢くなった方がいい」

「志津真の意見にはこなたも賛成するぞ。芦雪のアレは本気も本気、そなた一瞬生贄にされかけたことを忘れるでないぞ」

「え、いやいやいやそれはマノギ様が代わりのものを差し出すとか言ったから!」

「結局そなたの髪留めが使えなかったからではないのかえ。それ見ろ、小娘がこなたに口で勝とうなんぞ千年早いわ」


 それで本当に千年以上生きているのだから、司には何も言えない。

 ふもとで甘いものを食べていこうと提案している志津真にすっかり乗り気のマノギを見て、司も思わずため息をついた。確かに、彼らに口で勝とうとするのは間違っていたかもしれない。


「今日一番働かなかった者のおごりでどうだ。なァ司よ」

「え、私!?


 流石に今日一番の功労者である志津真にとは言わないまでも、マノギだって司と同じくらい役立たずだったではないか。尊大な態度で抹茶パフェが食べたいとのたまう土地神に、司はなにかを言おうとして――やめた。今日は神様相手に口喧嘩をする気にはなれない。というより恐らく、本当に一生かかっても勝てないのではないだろうか。

 意気揚々と来た道を戻っていくマノギと志津真の後姿を見ながら、司は深くため息をついた。

 

             

 

 後日、カフェ・アルボスにやって来た嘉穂に髪留めを手渡すと、彼女は満開の花々のように顔をほころばせた。


「これ、どこにあったんですか?」

「蔵越山の頂上で、偶然見つけたの。少し汚れちゃってたから、出来るだけ綺麗にしてみたんだけど……大丈夫かな?」


 汚れた部分は丁寧に泥を落とし、くすんだところが目立たないように司も手を尽くしてみた。おかげで見た目はかなりきれいになったが、如何せん元々がどんなものだったのかを知らない彼女にはそれ以上手の打ちようがない。


「はい、もうずっと持っていたから、元々少しくすんでいたんです。ありがとうございます!」

「志津真さん……えーと、あのヒゲのお兄さんが見つけてくれて」


 流石に大鴉と問答を繰り広げました、とは言えない。ラテアートを作っている志津真に駆け寄る嘉穂を見て、司はほんのりと笑みをこぼした。

 髪留め一つでそれほど喜ばれると、司も気分がよくなってくる。


「斗貴さんにも、今度お礼を言いに行こうと思ってるんです!」

「あー、でも斗貴さん神出鬼没だから、何処にいるか私もよくわかんないんだよね……」


 気が向いた時にふらりと店にやってくる店長の居場所を掴むのはなかなか難しいだろう。司から嘉穂のことを伝えておくと言えば、彼女はまたにっこり微笑んで頭を下げた。


「とは言っても司はとんと役に立たなかったがな」


 ぷふ、と空気を読まずに笑いをこぼしたマノギを睨んだものの、まったくもってその通りだから反論も出来ない。脱力気味に笑いをこぼして、彼女はマノギにアイスティーを二つ頼んだ。折角探し物が見つかったのだから、「役立たず」だった司がこれくらいしたとしても、誰も咎めはしないだろう。グラスの中に氷を放り込む軽い音が、店の中に響いて消えていった。