「なんということだ」


 家でレーツェル・キューブの解明をしているアムニシェルに夕飯を配達したい。

 バルトロメウの提案に二つ返事で快諾したエドモンドは、カウンターに本を積み上げているこの店の主の姿を見て眩暈を起こしそうになった。


 あの、金色の長い髪の毛。幼少の頃よりエドモンドがあらゆるケアを怠らず、手塩にかけて伸ばした髪である。それがよりによって肩口でバッサリと切られてしまっているではないか。


「どういうことか、説明してもらうぞバール」

「あー、アレだ。その、なんつーか、俺のミスっちゃ俺のミスでだなぁ」


 元々血色がよくはないエドモンドがさらに顔色を悪くしてブルブル震えるのを見て、バルトロメウはそうなってしまった経緯を一から説明した。

 金髪の襲撃者のこと。バルトロメウが側についていながら彼女の髪が切り落とされたこと。その後ミケーア・カルネフにしこたま叱り飛ばされたこと――1、2発殴られるのを覚悟で全てを話せば、彼は怪訝な表情を見せて目を伏せた。


「金髪の? それって、どういう人だった。いや、髪の色以外での特徴だ」

「特徴つってもなぁ……普通暗殺者って特長あったらダメだろ……あー、なんかやたらブツブツ喋ってて、美しいだの美しくねぇだの言ってやがったがな。どうにも気味が悪いっつーか、得体が知れねぇ野郎だったぜ」


 アムニシェルの為に持ってきた、彼女の好物がこれでもかと詰め込まれた弁当箱をバルトロメウに押し付けて、エドモンドは自分の髪をガシガシと掻き毟った。常に理性的な瞳の中には、焦燥感が渦を巻いている。


「接客業をしているとね、否が応でも人の顔や名前を覚えるのが得意になってしまうんだ。15年前の私なら考えられなかったことだ。昔は大概他人が首の生えたスプラウトに見えていたからね」

「あぁ? なんだってお前そんな……」

「その人、多分ウチに来たよ。ローゼンハイムの店を探しているっていうから、つい教えてしまったんだが――まさか彼が」


 彼岸にいる友に申し訳が立たない。

 彼が命がけで守ろうとした愛娘を同じく守ろうと決めたのに、あろうことが自分が彼女を命の危険に晒してしまうだなんて。


 骨ばった手で顔を覆いながら、エドモンドは深く深く息を吐いた。髪を切られてしまったとはいえ、歴戦の軍人であったバルトロメウが側にいたのは不幸中の幸いだろう。

 真剣な面持ちで大量の本と向かい合う当のアムニシェルは、そもそも二人の存在に気が付いていないようだ。


 四十路間近の男二人、顔を見合わせて溜息を吐く。何ともまあ熱心すぎるのは若さゆえだろうか。


「アミー、お疲れ様。食事を持ってきたよ。何か食べないと体を壊してしまう――バールにお茶を淹れさせよう」


 重厚な木製の机を何度か叩いて、ようやく店主は二人に気が付いたようだ。切られてしまった髪やその下の白い肌は何となく痛ましいが、割としっかり揃えられている。愛用の可動式モノクルの下から覗く大きな瞳が、2、3回瞬いた。


「おじさん、来てくれたの? バールもご飯食べに行ったんじゃ……」

「師匠に仕事させて一人でメシ食うわけにはいかねぇだろうがよ。色々作ってもらってきたんだ。好きなの食え」

「え、でもおじさんお店はどうしたの」


 弁当箱――シンプルな造りのバスケットの中には、彼女が好きなサンドウィッチや水筒に入ったスープなどがぎっしり詰め込まれている。どれも食べるのにはそう時間もかからない。どれも仕事が忙しくなると食事すらおろそかになりがちな彼女のために、エドモンドが腕によりをかけて作ったものである。


「一日くらい早く閉めても何の問題もないさ。それより君が酷い目に遭ったって聞いてね、無事で何よりだ」


 短く切りそろえられた髪に指を通すと、相変わらず触り心地は柔らかい。ただやっぱりどこか寂しいような気がして、エドモンドは眉を八の字にした。


「バールがいてくれたから大丈夫だったよ。あ、それでねおじさん。ミケーアさんのところで色々お話聞いたんだけど、やっぱりレーツェル・キューブの中身って音を発してるかもしれないんだって。それで今少し調べてたんだけど――」

「待て、待つんだアミー。さっきも言ったけど、何か食べた方がいい。話ならそれからゆっくり聞くから、今はまず食事が先だ」


 最近紅茶を淹れる担当に任ぜられることが多いバルトロメウは手際よく茶葉を用意して湯を沸かし始める。その様子を見て、ようやくアムニシェルの腹が小さく声を上げた。


「君もおなか減っただろう? さあ食べて」

「う、い、いただきます……」


 顔を真っ赤にしてサンドウィッチを口に運ぶアムニシェルの前に、淹れたての紅茶が出された。砂糖は少な目で食事にあうようにして、食後にはジャムを添えた帝国風紅茶を出してくれるという。


 喉を詰まらせないようにゆっくり、だが止まることなく口を動かすアムニシェルの姿を見詰めるように、緻密な装飾のオルゴールがカウンターに鎮座している。





 食事を食べ終えたアムニシェルは、空っぽになったバスケットの蓋を閉めてカウンターからオルゴールを持ってきた。多様な装飾が施された木の箱の中に本体が入っている種類のもので、ローゼンハイムが作ったものを彼女が何度か修理を重ねて使っている。


「オルゴールの中身? あぁ、この地方に古くからある歌だよね。オルゴール自体は調律からすべてローゼンハイムが行ったはずだ」


 レーツェル・キューブの『中身』。つまり音を発するなにかというミケーアの仮説に基づいてライブラリの中を片っ端から漁ってみたが、これといって謎解きの鍵らしきものは見つけられない。

 食事を終えて満足したアムニシェルは父の遺品のオルゴールを触りながら、装飾過多ともいえるそれの手触りを楽しんでいた。


「そういう調律とかもできたんだ、お父さん」

「彼は天才だったからね、ローゼンハイムは。まあその分努力も人一倍だったんだろうが――ああそうだ、試しにそれも水の中に入れてみたらどうだい? 確か歌詞の中にもあっただろう。水底に沈んだ恋ですら引き上げて抱きしめるみたいな凄い内容のが」

「私歌詞の内容よく知らなくて……これ、こっちの言葉じゃないでしょ」


 父が歌っていた鼻歌にしろ歌詞はなかったし、調べても言語形態がオムニェル=スタングやシュトレーゼのものとはまるで違う。結局解読できなかったアムニシェルはそこで頭を抱えていたのだが、エドモンドは記憶を紐解くように視線で斜め上を見上げている。


「あぁ、古い言葉だよ。古オムニェル語――どこかに現代語訳があるものだとばかり思ってたんだけれど」

「どこを探しても見つからないし、ライブラリにも検索結果ゼロで出たの」

「なるほど」


 古オムニェル語はそれこそロスト・テクノロジーが生み出された時代に使用され、今では一部の先住民族を除いてほぼ廃れてしまった言語である。知識の引き出しの中にそれを見つけたのか、エドモンドは空間を読み上げるように歌詞の概要を唇からこぼしていった。


「曲は明るいんだが、わりと過激な歌詞だったはずだ。神により引き裂かれた恋人を再び求めるため冒険をする男が、ひたすら恋人への愛を綴るという内容だよ。水底だろうとそびえる断崖だろうと迎えに行くし、腕が引きちぎれようと片足がもげようと抱きしめるよっていう感じの」

「もはや狂気すら感じるんだが」

「恋なんてそんなもんだろう。古今東西、今も昔も変わらないさ」


 オルゴールのゼンマイを鳴らすとそこからは軽やかな足取りを彷彿とさせるメロディが流れてくる。まるで晴れた日に出かけるような気軽さの曲に、そんな恐ろしい意味が込められていたなんて。

 文学作品にしろそうであるが、現在よりも戦中戦前、それよりもさらに昔のものの方が内容が過激であることが多いように思う。


 アムニシェルは歌詞の意味を噛み砕きながら、ジャムが添えられた紅茶をひたすらかき混ぜていた。


「水の中に入れるって、その歌詞にのっとるってこと? やってみる価値はあるかも。元々私のアクセスとか波紋とか、音に関する仕掛けが多いし」


 アクセスだけはロスト・テクノロジーの線が濃いが、こうしてみると割と簡単な仕掛けや時の先端技術の引用が目立つ。遠い昔に遺失された技術や手法だけで、果たしてこれらの仕掛けが成り立つのだろうか。


 考えを巡らせるアムニシェルがやや冷めてきた紅茶を飲むと、それまでただ話を聞いていただけだったバルトロメウが同じような疑問を口にした。


「それってよぉ、どっちかってぇとロスト・テクノロジーじゃねぇよな。俺が知ってるロスト・テクノロジーっつーのは大概得体が知れねぇモンだし、今まで理論でカタが付いてるってところがどうにも不思議でならねぇ。ミケーアの姉さんが言ってたように、普通波紋の謎解きなんて先進技術の方使わねぇと解けねぇってんなら」

「異質技術っていうか、オーバー・テクノロジーって言うよね。それ」


 現代科学で解明不能なもの、魔女が特殊なアクセス権を有するものの総称として使われるロスト・テクノロジーとは対照的に、最先端の科学技術を更に進化させたものはオーバー・テクノロジーと呼ばれる。どちらも一部の人間以外には夢物語のような話だが、太古に失われた技術を最新鋭の利器で補おうとする動きは確かに存在している。


「でも聞いたことないよ、ロスト・テクノロジーとオーバー・テクノロジーを一緒に使うなんて……そもそも、それだったらロスト・テクノロジーなんて名前付いてないと思うし」


 問題はそこだ。最初から人の手で作り上げられればロスト・テクノロジーなんていう名前はついていないし、如何な天才たちであっても現代の技術でロスト・テクノロジーの製造は不可能だ。


 だとすれば考えうる可能性は一つ。

 そもそもレーツェル・キューブが、ロスト・テクノロジーではないということだ。


「でも、今まで誰も開けることが出来なかったって……私のアクセスで開いたのだってロスト・テクノロジーだったからじゃ」

「今まで、その市議長が他の魔女を使って試したことがなかったんだろう? それがまず妙だとは思わないかい」


 それは、何度も考えた。

 魔女の数は希少だがゼロではない。昼間の疑念がもう一度頭をもたげてきて、アムニシェルはバルトロメウの顔を見上げた。


「バール、私出来るだけ早くオズベルク市議のところに行きたい」

「意見が合うな師匠。俺も2つ3つ聞きたいことがあるんだ」


 執事に連絡を取っている時間も惜しい。

 明朝すぐに行動を始めたいという少女の願いに、大男は一つ頷いたきり何も言わなかった。