さくさくと髪を切る軽快な音が、掘っ建て小屋のような家の中に響いていた。油まみれの作業着を翻しながら、艶やかな黒髪の女は頭を掻いている。


「聞いてんのかいこーのデクノボウ。女の髪は命っていう言葉、知らないとは言わせないよ」

「め、面目ねぇ」


 音がするたびに、床の上にはきらきらしい金髪が一房落ちる。握りバサミでそろえられていくのはアムニシェルの斬られた髪の毛だった。

 襲撃者が去った後、髪の毛をバラバラに切られたアムニシェルを抱えるようにしてバルトロメウはミケーア・カルネフの家に転がり込んだのだ。


「大体手紙出すだけ出して人様の家にいきなり転がり込むっていうのはどういう了見だい?」

「え、手紙の返事……出してくれたんじゃあ」

「読むだけは読んだけどねぇ、返す時間もなかったのさ。今日は久々の休日だと思ったらアンタたちがやってくるし、落ち着かないったらありゃしない」


 手際よく髪を整えながらも、ミケーアの厚い唇からこぼれてくるのは不満げな溜息だ。手紙を出していないということは、あの返信自体が偽装された――恐らくあの男が作った偽物なのだろう。

 鏡越しに切りそろえられる自分の頭髪を見ながら、アムニシェルは薄く眉根を寄せた。本当に彼は、あの道のど真ん中で自分たちを殺そうとしていたのかもしれない。


「ま、エドモンドからの紹介なら無下にも出来ないし……ローゼンハイムのお嬢ちゃんが絡んでるならなおさらだ。ヤツには随分世話になったんだよ」

「お父さんのこと、知ってるんですか?」

「この国の戦時中を生き抜いて技術者であの男を知らない人間なんていないさ! 平和主義者の癖に、アイツが起動したロスト・テクノロジーは誰よりも多かったんだ。結婚して雲隠れしたと思ったら、まさか娘まで作ってたなんて知らなんだね」


 一度ハサミが高く鳴いて、細い指先がアムニシェルの頭のてっぺんを撫でた。背中まであった金色のロングヘアは肩口で切りそろえられ、随分とすっきりした印象を受ける。


「よし、完成だ。寒くないかい?」

「少し首のところがひやっとするけど、大丈夫。ありがとうございます」


 鏡越しではなくしっかりと礼を言おう――振り返ったアムニシェルは、満足げに腕を組んでいる作業着姿の女性に頭を下げた。

 薄汚れた作業着に、上からこれまた汚れの目立つ白衣。科学者というよりは整備関係の仕事をしている職人のような出で立ちのミケーアは、その豊満な胸の下で腕を組んでいる。


「ん、いいね。アンタそっちの方が似合ってるよ……さて、アタシに言うことは? ジェラルド大佐」

「そのジェラルド大佐っつーのやめてもらっても――あ、イエ。大変お手数お掛けしましたハイ。似合ってるぜアミー」


 機械仕掛けじみた動きで何度も首を上下させて、先程からミケーアに叱られっぱなしのバルトロメウはまた体を小さく縮こまらせた。こう見ていると、軍人というよりは図体だけが大きくなった子供か腹を空かせて情けない声を上げる子熊に見えてくるから不思議だ。


「それで? 波紋から音階を読み解けだなんてまた面倒な頼み事してくれるじゃないか。大佐、資料よこしな」

「っす……」


 戦時中の階級名で呼ばれたバルトロメウは、なおも背中を丸めながらスケッチした紙の束をミケーアに手渡した。ペンを片手にそれを何枚かめくったミケーアは、紙の片隅にさらさらと数式を並べていく。


「ふん、本当は機械でもって電子化しないとしっかりとした音なんてのはなかなかわかんないものさ。だがアンタたち、随分と運がいい。お嬢ちゃん、そこにあるピアノ持ってきてくれ」

「は、はいっ!」


 それ、と指差されたのは、そこらに放り投げられていたおもちゃのピアノである。それも三脚の足のうち一脚が折れている、明らかなガラクタだ。


「それ、音出んのかよ……」

「ふふん、このミケーア・カルネフに不可能はないんだよ。コイツは直すついでに周波数の変換も出来るように改造した、アタシの発明品の中でもいっとう優秀な作品さ」


 あっけにとられたままの二人をよそに、ミケーアはおもちゃのピアノを幾つかポンポンと指ではじいた。出来が簡単な割には重みのある音が家の中に響き渡る。


「……見る限りちょいと独特なテンポだし、パターンがこれだけなら、っと」


 美しく彩られた指先が、鍵盤を滑っていく。一つ一つ確かめるように奏でられていく音は、やがて川の流れのように緩やかな調べを紡ぎあげていく。


「あー、なんだこれ、聞いたことあるぞ」

「流浪の民が奏でる歌さ。こっちの地方じゃ、もっぱら子守唄として歌われてる。本来の歌詞の意味はむしろ別れの歌なんだが……そうだ、対になる曲があったな」


 深く沈んていくような曲調は、確かに眠りを誘うにはうってつけだろう。本来の意味とは違う歌詞までつけられたというこの曲を、アムニシェルもまた聞いたことがある。恐らく対になる曲というのも、どこかで。


 アムニシェルはゆっくりと目を閉じて、しばらくその音の中を漂っているようだった。


「その曲、弾いてもらうことってできますか」

「あぁ、そんなに難しくはないんだ。少しずつ音階やテンポが変わるだけで、元々口承されてきたものに無理矢理譜面を当てはめた曲なんだが」


 鮮やかに彩られた爪でもって、ミケーアは軽やかにその曲を引き上げる。先ほどとは違いずいぶんと明るい曲調だ。だがやはりアムニシェルはその曲に聞き覚えがあった。なんだったら今すぐ口ずさむことが出来るくらい。脳裏に父の、調子っぱずれの鼻歌がよみがえるくらいには。


「……この曲、知ってる」

「本当か?」

「うん、でも歌詞の意味は分かんないっていうか、鼻歌やオルゴールでは聞いたことがあるんだけど」


 もったいぶってないでさっさと教えろと身を乗り出すバルトロメウに、ミケーアはピアノを弄うのをやめてそのほっそりした顎に指を添えた。赤く塗られた唇はよく熟れた果実のようだったが、そこから躍り出てくるのは先程の曲に与えられた意味だ。


「さっきの曲が別れの曲なら、これはそれを追いかける男の歌さ。確か腕がちぎれても君を抱きしめるみたいな頭おかしい歌詞だった気がするんだが……鼻歌ってことは、誰かが歌ってるのを聞いたことがあるんだね?」


 曲の明るさの割に案外とんでもない歌詞だったようだ。

 古今東西恋愛を謳った作品にはままあることだが、盲目的な恋情に焼き焦がされるような激しさを孕んでいる。


 歌詞の意味を知ってしまってややひきつったような表情でピアノの方を見詰めていたアムニシェルが、何とも微妙な表情で頬を掻いた。


「お父さんが、ずっと歌ってた歌なんです。ご飯を作る時とか、お仕事してるときとか。家にオルゴールもあって、私もよく聞くんですけど」

「なるほど、淡白そうな顔して随分とまあ情熱的じゃないか。……いやしかし、するってぇとねぇ」


 そう言うとミケーアはその場から立ち上がり、汚れた白衣を翻した。

 ぽかんとするアムニシェルとバルトロメウに向かって手招きすると、本棚の一角を蹴りあげる。


「おかしいねぇ、確かこの辺にあったはずなんだが……アクセス、ライブラリ! プリエーラのお嬢さんの資料があっただろ。今すぐ用意しな!」


 本棚を蹴りあげながらそう叫ぶ言葉に、アムニシェルは聞き覚えがある。いや、それどころかその口上は、彼女が自宅のライブラリを動かすときとまったく同じものだ。


 本来それは魔女であった父がアムニシェルの為に作ってくれたもので、ロスト・テクノロジーを引用しているわけではないにしろそれなりに最新の技術を結集してつくられたものである。

 なぜ、それと同じものがこの家にあるのか。


 その疑問の答えは、案外あっという間に導き出された。


「なーに驚いた顔してんだい。元々このシステムを開発したのはアタシだよ? それを少しばかりローゼンハイムが改良したんだ。アンタの家にもあるんだろ、これと同じのが」


 何故本棚を蹴りあげているのかは謎だが、とにかくミケーアの家の検索システムはアムニシェルの家のもののプロトタイプであるらしい。

 怒鳴りあげられたシステムは機械音声でその本のありかを告げる。ノイズが多く混ざって聞き取りにくいのも、その辺りが関係しているのだろうか。


「ま、これをちょっと読んでおくれよ。ジェラルド大佐、そこにティーポットがあるだろ。茶ァ淹れてきな」

「おい待て、さっきからなんで俺が……!」


 顎で指示を出されたバルトロメウは、思わずミケーアに食って掛かろうと眉根を寄せた。だが次の瞬間、ミケーアの視線が容赦なく彼の脳天まで突き刺していく。


「アンタが読んだって理解できないだろうが。せめてお嬢ちゃんのために茶でも淹れて役に立ってるところでも見せなってんだよこのトウヘンボクが」


 これほどまでいいように貶されたのは刑務所を出てから初めてかもしれない。

 役立たず呼ばわりされたバルトロメウは何も言わずに立ちあがり、錆の浮いた金属製のティーポットを持って台所に向かった。威厳もへったくれもこの家ではあったもんじゃない。


 バルトロメウが背中を丸めてすごすごと台所へ引っ込んでいく一方、アムニシェルは渡された本に目を通していた。

 手書きの文字と詳細な図解をまとめた本の著者名はプリエーラ・メニウム――アムニシェルの母だ。


「これ、お母さんの」

「アタシが軍で出張ってたのはローゼンハイムやエドモンドより少し前だ。ちょうどプリエーラの活動時期と一致する。これはその時手に入れた論文だよ」


 読みやすい字ではなかったが、ミケーアの名で送られてきた偽物の手紙のように解読することは不可能ではない。序論から始められるそれは、魔女のみが操ることが出来るロスト・テクノロジーを一般人の手で作成、起動させることが出来ないかという提案と、仮説が書きこまれていた。


「バカげた研究だったけどね、当時のお偉方に書かされたのさ。魔女は絶対数が少ない。国家にとって魔女を確保するのはそりゃあ骨でさぁ」


 専門用語だらけでよくわからないところは多々あったものの、アムニシェルは次々とページを繰って論文を読み進めていく。


「ミケーアさん、実際にこんなことって、可能なんですか」

「不可能だ。アタシたちが沢山の人間の命を犠牲にして、それでようやくたどり着いた答えがそれだった。ロスト・テクノロジーを作るどころか、動かすことだって、普通の科学者じゃまず出来っこない」


 だがその時代が、不可能とは言わせてくれなかった。ミケーアは続ける。一気に読み飛ばして論文の最期の一文に目を通すと、そこは確かに一言、理論上は可能であるとの文字が自信なさげに座り込んでいた。


「だが事実、プリエーラ・メニウムは天才だった。そしてローゼンハイム・アプリコットも、また比類なき天賦の才を与えられていたんだよ」


 お湯が沸く甲高い音が、思考ごと一気に押しやってくるようだった。




 こだわりの紅茶を淹れたバルトロメウは、放心状態のアムニシェルの顔を覗きながらその前にティーカップを置いた。分厚い論文が置いてあったが、自分が読んだところで半分も理解できないだろうということは彼自身よくわかっていた。


「お、よくあの安物の茶葉でここまで出来たもんだ」

「当たり前だろ、ティータイムだけはたとえ戦争がおっぱじまってもしっかりとるもんだ」

「なるほどねぇ、さすがは帝国軍人ってぇとこか」


 優雅にカップを傾けるミケーアだったが、対したアムニシェルは目を伏せたまま手を付けようともしない。ハシバミ色の瞳を忙しなく動かして、何かを考えているようだった。


「アミー、どうした? なんかこの姉さんに言われたのか」

「ちがう、けど……あの、ミケーアさん。教えてください」


 考えがまとまったのか、或いは諦めたのか。

 ミケーアは何も言わない。まだティーカップを口に付けたまま、足を組んで表情一つ変えることはなかった。


「父と母は、何がしたかったんでしょうか。二人はもしかして、本当にロスト・テクノロジーを作りたかったんじゃ」

「お嬢ちゃん、それは違う。あの二人は天才だったが、自分の領分ってもんをわきまえてた。エドモンドも言ってなかったかい? アイツは誰より戦争を憎んでた。プリエーラが科学者を辞めてちっぽけな人形を作っていたのも、そんな世界に飽き飽きしてたからさ」


 なだめるように優しくそう言ったミケーアに、アムニシェルは泣きそうな顔を向けた。レーツェル・キューブの中に入っているものが音を発するなにかだということは分かったが、それ以上になだれこんでくる両親の話に頭が限界を迎えようとしている。


 馬鹿だねぇ。そう苦笑したミケーアは空になったティーカップを置いて白衣のポケットに手を突っ込んだ。よれた箱の中からシガーを一本取りだして火をつけた。


「アタシが思うに、その匣とやらを開ける鍵はもうアンタの手に揃ってる。冷静になりなお嬢ちゃん、今論点はアンタの親のことじゃない……さ、飲みな。大佐の太い指で入れたとは思えないくらい美味かったよ?」

「最後だけ余計っすよ。しかしまあ、ミケーアの姉さんの言ってることは間違ってねぇわな」


 ニッと笑ったバルトロメウに頭を小突かれて、アムニシェルは一回だけスン、と鼻を鳴らした。再び上げた大きめの瞳には涙も浮かんでいないし、不安な色も吹き飛んでしまっている。


「そう、だね。大切なのはレーツェル・キューブを開けることだもん。ごめん、ちょっとびっくりしてた」


 鍵は己の手の中にある。

 ミケーアの言葉が背中を押してくれるようだった。折角匣から発せられる音の正体がわかったのに、自分の良心のことで立ち止まってはいられない。


 そうと決まれば行動は早い方がいい。

 紅茶を一息で飲み干して、そのまま勢いをつけて立ち上がる。


「ミケーアさん、いきなり来たのに色々してくてありがとうございます。私、絶対匣のこと、何とかしてみせます」

「ああ、中身がわかったらぜひ教えておくれ。それがロスト・テクノロジーだろうとなかろうと、興味が出た。ま、今度は精々ゆっくり遊びに来るんだねぇ……大概その辺で煙草ふかして誰かの話聞いてるから、好きな時に来ればいいさ」


 ほっそりとした掌をひらひらと振るミケーアに一度頭を下げて、アムニシェルはそのまま家を出た。あとからバルトロメウが遅れて後を追うが、彼女の足取りは迷うことなく前に突き進んでいる。


 正直障害物もものともせず前進するんじゃなかろうかという僅かな不安が頭を掠めて、バルトロメウは歩調を速めて彼女の前に躍り出た。


「どこ行くんだ、夕飯はどうする? シエル・ブリュに行こうぜ。なあ師匠、なあってば」

「うん、でもまず家に帰って試してみないと。ミケーアさんが言ったみたいに答えがもうそこにあるなら、見つけてからにしなくちゃいけない」


 これも科学者の両親持ったが故なのか、或いは子供だからこその行動力なのか、一度言い出すとアムニシェルは聞こうとしない。先程もそれで襲撃されたばかりだというのに、なんとも現金なものである。


 かかとを鳴らして直進するアムニシェルに溜息を吐きながらも、バルトロメウはそれに従った。


「いいぜ、アンタが決めたことなら俺は何も言わねぇよ。……だが俺も腹減っちまったからよ、先に一人で食いに行ってていいか?」

「うん、大丈夫。お昼に作ったパスタの残りがあると思うし」


 ただし、もそもそしていて美味しくはない。

 とはいえ最終的には腹さえ膨れてある程度の栄養が取れればいいだろう――最終的に自分の中でそう結論付けて、アムニシェルはまた店への道を歩き始めた。