「おぁ……なんだってんだ、こりゃあ……」

「あ、そうか。今日はお母さんの日だ」

「お母さんの日?」


 今夜のシエル・ブリュは、女性向けの落ち着いた内装とは一転していた。機械をモチーフにした小物やグラス、食器類になっているほか、客は男性が多い。運ばれる料理も甘いデザートではなく、バルトロメウも在軍時代に世話になっていた缶詰のアレンジ料理になっている。


「やあアミー、バール。仕事は終わったのかい?」

「滞りなくってわけじゃないけど、一回目はこれで終わり。ほらバール、ぼーっとしてないで注文してよ」

「いや、いやいやいや。俺にはさっぱり理解できねぇんだが、なんだこれ、エディお前いつの間に改装しやがった」


 ポカンと口を開けたまま混乱しているバルトロメウに、アムニシェルが笑いかける。とりあえず席に座らせると、彼女は傍らに置いてあるボルトをモチーフにした人形を手に取った。


 胸元には、テリーという名前が彫ってある。


「これ、私のお母さんの作品なの。プリエーラ・メニウム。科学者だったけど、こういうちょっとしたオモチャとかも作るの好きだったみたいで、結構残ってるんだ」

「おぉ……上手いもんだと思うけどよぉ、なんだってまたエディが」

「私は彼女の作品のファンでね。遺品をローゼンハイムに貰ってからはすっかり虜なんだ。アミーの厚意で彼女の作品の殆どが今私の手元にある。幸せなことだよ」


 そう言って歯車が描かれたグラスに水を注いだエドモンドは、上機嫌に料理を作り始めた。普段は基本的に一人で店を切り盛りしているのだが、今日は特別にスタッフを使っている。不定期で行われるプリエーラの作品展示会には、多く男性の客が絶え間なく訪れた。


 出された干し肉のスープを受け取ったバルトロメウは思い切り顔をしかめた。

 確かに、一口食べれば程よい塩味とよく煮こまれた野菜の甘さが合致して美味い。美味いのだが、戦争そのものを毛嫌いしているエドモンドがこうした料理を作ることに、どこか矛盾のようなものを感じてしまうのだ。


「おいそんな顔で食べないでくれ。営業妨害だ」

「いや、お前神経質だからさ。そういうの嫌がるだろ」

「料理に罪はない。だけどお前が言うように戦時中を思い出すのは辛い。だから不定期なんだよ。ちょうどいいだろう? 天才的技術者の作品を愛でながらこういう料理を食べるのは。さあ、冷める前に食べてくれ」


 缶詰にされた魚をパンで挟んだものや、大量養育されたスプラウト野菜の料理などは、恐らく言われなければ一般に提供される料理と変わらないだろう。幸せそうにそれを頬張るアムニシェルも味は普段のメニューと遜色ないと言い張っている。


「あ、そうだおじさん。今度私もこういうの作ってみたい! お母さんが遺したレシピあるから、作ったら見てもらってもいい?」

「勿論。だが私は厳しいよ、基準はプリエーラ・メニウムなんだから……なんだバール、結局食べるんじゃないのか」

「腹減ってんだ、食うに決まってんだろ――つーか賑わってんなぁ。そんなにコレがいいのかよ」


 指でボルト人形をつまみながらそれを観察するバルトロメウは相変わらず口を半開きにしたままで、スープを飲んでいたアムニシェルはくつくつと笑いながらその様子を眺めている。


「やっぱりなんか変だよねぇ。可愛くないし、男の人ってこういうの好きなの?」

「何を言うんだ、『機械の帳』シリーズはプリエーラの最高傑作だよ。一流の技術者が作る作品には魂でも宿るのかな、この店に集まる多くの大人は、皆彼女の作品に魅せられてる」


 既に死んだ人間の作品で、新作が出ることはこれから先絶対にありえない。仮にアムニシェルがそれを踏襲したところで、結局それはプリエーラの作品ではなくアムニシェル・アプリコットのものだ。


 代わり映えしない作品群を見ていて本当に楽しいのだろうか。

 アムニシェルやバルトロメウが抱くその疑問に、エドモンドは笑顔で答えた。


「当たり前だろう。代わり映えしないことこそがこの作品の素晴らしさだ。いや、これだけじゃない。プリエーラ・メニウムの作品はほかにも数多の仕掛けがあるものがあってね」

「く、詳しいことはアミーから聞くぜ。な、アンタの方が詳しいもんな、な?」


 普段理性的なエドモンドの変貌っぷりに、バルトロメウは冷や汗をかきながらアムニシェルに助けを求めた。多分このまま彼を突っ走らせれば、深夜まで彼女の作品の美点を聞かされるに違いない。

 年若い師匠の方もその意図に気付いたのか、機械的に何度か首を縦に振った。どちらにせよ今日はひどく疲れているのだ。


「そう、おじさんに聞きたいことがあってきたんだけど――ねえ、人を魅了するロスト・テクノロジーって、分かる?」

「人を魅了する?」

「触ってるとこう、気分が高揚したり、それを手放したくなくなったり……すごく変でしょ」


 思案するように手を顎に当てたエドモンドだが、すぐ客に呼ばれてそちらへ向かってしまう。空になった皿をカウンターに戻しながら、アムニシェルもまた複雑な表情で考え事をしているようだった。


「俺ァよぉ、アイツがそう言う趣味の持ち主だっつーのは全然知らなかったんだわな。エドモンドは技術畑の人間だ。ローゼンハイムと違って魔女じゃねぇから戦線には出てこねぇ。だからそこまで知ってることはねぇんだが……」

「少し変わってるよねぇ……なんだっけ、男のロマン? って言ってた」

「こりゃロマンじゃねぇよ。店の中改造してまで何やってんだアイツ。いいかアミー、こういうのはただの自慰行為っつーんだよ」

「ちょっと下品な言葉使わないでよ」


 スプラウト野菜のサラダを食べ終えたアムニシェルは食後のカフェオレを飲み始めた。これだけは流石にカフェの矜持もあってこだわりの素材を使っている。明日には元通りになっているであろう店内をぐるりと見回して武骨な形の機械を眺めると、何となく彼女の中にも興味がわいてくる。


「おじさんにはああ言ったけどさ、私もあの時計とか、中身どうなってるのかなってちょっと気になるんだ」

「アンタのそれは職業病じゃねぇのか? まあ、そういう趣味の奴もいるんだろうなって考えとくくらいでいいのかもしれんが……アイツの場合はちーっとばかり熱が入りすぎてるような気がしないでもないっつーか」


 とはいえ、エドモンドにはそれ以外の趣味という趣味がないのだ。以前は女の子だからと理由でアムニシェルをあちこち買い物に連れ出しては服やアクセサリーを買い与えていたが、彼女の自我が確立して動きやすい服装や汚れてもいい格好を好むようになると、渋々ながらもそれを受け入れた。その前からプリエーラの作品を好んで蒐集していたようではあるが、酷くなったのはそこを境にしてからかもしれない。


「も、もしかしておじさんの趣味って私のせい……?」

「何がだい? や、お待たせお待たせ。おかわりは?」


 呼び出されていたエドモンドがカウンター内の定位置について空いた皿を片付け始めるが、もうバルトロメウもアムニシェルもお腹はいっぱいである。各々頼んだ飲み物を飲んで落ち着いた頃合いを見計らいながら、アムニシェルは先程の問いをもう一度繰り返す。


「おじさん。もう一回聞くんだけど、人を魅了するロスト・テクノロジーって存在するの?」


 あのレーツェル・キューブに触れた時の奇妙な昂揚感を、アムニシェルはまだ覚えている。心がときめく、これを見詰めていることこそが至福であると錯覚する――得体のしれない感覚を思い出してぶるりと体を震わせた彼女に。バルトロメウが心配そうな表情を見せた。


「そういうものに出会ったんだね。例えば私がプリエーラ・メニウムの作品に心惹かれるように、だが明らかに不安を覚えてしまうような、そんな存在」

「おじさんにも前言ったよね。市議長の……」

「ああ、好事家の市議長の館に行ったんだっけか」


 それからエドモンドは目を伏せて、「残念だが」と口を開いた。科学者として世情を見ていた彼の意見は時折至極理性的で、考えようによっては冷徹にも見える。


 ゆっくり首を横に振ったエドモンドが再び目を開いた時、その瞳には明らかな否定が映し出されている。


「何の根拠もなく人の感情の機微を制御できるかと聞かれたら、それは否としか答えられない。確証がないまま君に意見を述べることは避けたいからね。人が何かに惹かれるには理由があるものだ。外見が美しい、香りが芳しい、味が好み――無自覚であろうと、そこには必ず理由が存在している」


 カウンターを拭こうとした布巾の上で何度か手を握ったり開いたりしながら、元科学者は話を続ける。ここからはあくまで仮定の話だと前置きをすると、アムニシェルの目が二、三度瞬いた。


「例えば、それに何か仕掛けはなかったかな。何処かを触ると花の香りがするとか、五感に直接訴えるものがある、みたいな」

「ロスト・テクノロジーのアクセスで少しだけ、なんか溝みたいなのが刻まれてて」

「そっからは押しても引いても捻ってもダメだ。温めるなり冷ますなりしても効果はなかった」


 ここまで言って守秘義務も何もあったものではないが、市議長の今の状態まではエドモンドには言わないでおくことにした。どちらにせよあの状態はあまりいいものではない。執事が対応するなら、そのままにしておいた方がいいのだろう。


「なるほど、アクセス出来たんだね。だったら本当にロスト・テクノロジーの可能性が高いのかな……実物を見たことがないから何とも言えないんだけど、特殊な回路とかがないかどうかの検証も必要だ」

「回路とかはちょっとわかんないかも。あくまで専門は外側だけっていうか、ロスト・テクノロジー以外の回路組まれてたら多分お手上げ」


 専門の技術者ならまだ知らず、アムニシェルの本業は時計やからくり仕掛けの修理である。恐らくその点ではエドモンドの方が一日の長があるだろう。話に交じることが出来ないバルトロメウは相変わらず紅茶を飲みながら、流れてくる音楽に大きな体を揺らしていた。


「やっぱり見てみないとダメだよねぇ……分かったところだけはスケッチは取ってきたんだけど、見る?」

「ああ、少しいいかな」


 身を乗り出した店主に、バルトロメウがすかさず紙を差し出した。


「詳しい材質はわからんが、外は金属だ。触った感じはひんやりしてて、固い。立方体で、アミーのアクセスで制限が解除されたみたいだ」

「情報が少なすぎるな。他にはいろいろ試してみたのか? 水に沈めるとか火で炙るとか」

「試す前に執事さんが来ちゃって……バールが、言わない方がいいっていうから」


 今日知ることが出来たことはあまりにも少ない。何の変哲も無かったただの金属の匣に変化を出したことは確かに功だったのだろうが、ただそれだけだ。結局原因の解明どころか謎を一つ増やしただけ。問題は、次の状態からどうやって別の変化を見出すかということになる。


 浮かれて見たものの、結果だけ見ればどん詰まりもいいところだ。


 現実を見て深くため息をついたアムニシェルの柔い金髪を、白い指先が撫でる。バルトロメウの時と違って髪型を崩さないそれを、彼女は甘んじて受けた。


「おじさーん、どうしよー……調べてもあんなのどこにも資料なんてないし」

「やっていないことも沢山あるんだろう? どうせ許可をもらってるなら思いつくことをとことんやってみるといいさ。検証の数だけ真実に近づくというのは、科学者としての私の持論だ」


 最後に優しく肩を叩いてエドモンドの指は離れていく。

 しばらく突っ伏して唸ったままだったアムニシェルはむっとした表情まま顔を上げて大きく息を吐いた。


「ありがとおじさん。やってみる」

「その意気だ。どうせバールがいるんだから好きなように使ってみるといいよ」


 お前が勝手に言うなと憤慨するバルトロメウを横目に、エドモンドも軽く息を吐きだした。――何というか、彼女はこれで父にも母にも似ていない。能力に恵まれ可能性をとことん追求する天才型の二人と違って、この少女は何も持っていないのだ。職人として師事すべき師父師兄がいるわけでもない、熟達した技術があるわけでもない。およそ両親とは対極にいるような生き方だ。


「君の仕事の成就を祈願している……悩みがあるならいつでも来るといい。話くらいなら聞いてあげよう。というより、しがないカフェのマスターにはそれくらいしか出来ないからね」


 だが恐らく、がむしゃらさだけならば両親を凌駕するだろう。その一点においてだけは、年若い彼女は誰よりも勝っている。それだけでも頼もしいというものだ。


 軍人上がりであろう野太い声の男たちに呼ばれたエドモンドはにこやかにカウンターを離れてそちらに合流する。今日は久々の、彼らの為の日だ。


「んー、幾つか試したいことはあるんだけど、材料とか買って、本で少し調べて……次にオズベルクさんのところに行くのは、早くても七日くらい後になるかも」

「随分と時間がかかるんだな」

「香りの成分とかは詳しくないし、他に仕掛けが合ったらって思うとね。あと、出来れば執事のスミスさんにも協力してほしいし」


 エドモンドが去った後、椅子の上で足をぶらぶらさせるアムニシェルに向けて、バルトロメウは思い切り顔をしかめた。もとよりスミスもオズベルク市議長のことも信用していないのだ。


「でも、今日見た感じじゃスミスさんはオズベルクさんのこと心配してるみたいだったし……私、あの人そんなに悪い人じゃないと思うんだ。もちろんバールにも手伝ってもらうけど、専門知識とか、私が及ばないことについてはどっちの手助けも必要だと思う」


 力仕事ならばバルトロメウを、アムニシェルの実力以上の頭脳作業はスミスに。

 本来誰の力も借りずに仕事を成し遂げられれば最高なのだろうが、如何せん自分には経験も実力も何もかもが足りない。

 実際スミスに動いてもらえるかは賭けでしかないが、手助けをしてもらえるならそれにも越したことはない。そう言うと、バルトロメウは鼻を鳴らして頭を掻いた。


「確かにあの執事、相当頭は切れるぜ。そんくらい俺だってわかる……まあ、アンタの好きにしたらいいさ。だがもしアンタに何かあったら俺ァアイツの顔の形が分かんなくなるまでぶん殴るぞ」

「もしそういうことがあったら、ね」


 次に出会った途端横っ面をぶん殴りそうなバルトロメウをそう嗜めて、アムニシェルは勢いよく椅子から飛び降りた。やることが決まったからには一週間みっちりと下調べをしなければならない。


 スカートのすそを払うと、屈強な男性たちと一緒に歓談していたエドモンドを呼び寄せる。


「お会計でお願いします」

「そうだな……おじさんからの応援も兼ねて今日はサービスにしておくよ。あ、バールの分は頂戴しようかな」

「なんでだよ!」

「こちとら遊びじゃなくて商売なんだよ」


 バルトロメウに対しては呆れたように肩を竦めながらそう言うとまたいつものようなにぎやかなやり取りが始まる。一部始終を笑って眺めながら、アムニシェルは帰ってからすることの算段を立てていた。


 まずはライブラリで資料の検索、足りないものは街の本屋で揃えて、明日か明後日にはバルトロメウと一緒に買いだしが必要だ。その間に別の依頼があれば、都度対応していかなければ。


 やることは数えていられないほど沢山ある。

 気合を入れるために軽く頬を叩いたアムニシェルを、大人の男二人が動きを止めて不思議そうな顔で見ていた。