「考え過ぎだ。バールお前、長い獄中生活で疑心暗鬼になってるんじゃないのか?」


 季節の果物のパイを用意しながら、カフェ『シエル・ブリュ』店主のエドモンドは古くからの知己の言葉を突っぱねた。甘い砂糖の香りが充満する店内は女性客が多かったが、店主の眼の前はやけに大きな図体の男が小さく背中を曲げて座っている。


「お前がムショに突っこまれてた十五年で、世界の様相も大きく変わった。帝国では栽培困難だった砂糖が寒冷地でも作られるようになったし、ジャムくらいなら私だって手に入る。帝国貴族流の茶の飲み方を知っていたから市議長が怪しいだなんて、被害妄想にも程があるよ」


 そう言ってエドモンドは意図的に香りを付けた紅茶を淹れ、同行したアムニシェルの前に置いた。柑橘系の香りのそれは彼女の好物の一つだ。


「フレーバーなんて邪道もいいところじゃねぇか」

「若い女性には人気なんだ。お陰様でね……まあ、施政者が胡散臭いっていうのは私にもわかる話だがね。もう戦時中とは違う。無理して誰かを疑ってかかる必要なんてないんだよ」

「はン! お前こそ隠居ジジイ気取りかよ。情けねぇ」


 淹れてもらった紅茶に口を付けながら、アムニシェルは椅子の上で足をぶらぶらさせていた。高いカウンタ―に合わせた足の長い椅子は、彼女が座ると少し高さが余る。

 ほんのり甘い香りのフレーバーティーを置いて辺りを見回しても、バルトロメウと店主はまだ子供の様な言い合いを続けていた。


「でも結局、依頼は受けることにしたんだよ。断ってる余裕もないし、市議長さんのお得意様に慣れたらラッキーだと思って」

「ああ、そう思うといい。君みたいに若くて才能ある職人こそ尊重されるべきだ。いいかバール、彼女はこれまでだって上手くやってきた。心配なのはわかるが過保護になるべきではない」


 サクサクのパイに手を付け始めたアムニシェルは横に添えてあるクリームと一緒にそれを口に運ぶ。仕事が始まる前と終わった後は必ずこれを食べるようにしているのだ。気合を入れるのと、自分へのご褒美。それが分かっているエドモンドは、いつもトッピングのクリームにカラメルソースを加えて彩ってくれる。


「んー、これおいしい! 何のパイなの?」

「今回は干した果実をを幾つか入れてみたんだよ。葡萄とか林檎とか、一応買ってきて干すところまでは自分でやってみたんだ。気に入ってもらえてよかった」


 新メニュー開発に余念がないエドモンドを見て呆れたように肩を竦めたバルトロメウは、結局紅茶には手を付けずに鼻を鳴らした。どうやら、フレーバーティーは彼の琴線には触れなかったらしい。


「過保護だァ? 馬鹿言うんじゃねぇよ。アミーはまだ十四だろうが。職人つったって子供だわな」

「その銃直したの誰だと思ってんの」

「違ぇって……聞け師匠。そりゃアンタの腕はいいと思うぜ? 流石ローゼンハイムの娘だ。だけどよ、だからって一端の大人扱いするっつーのは、俺はどうかと思うわけ」


 上手くは言えないと天井を仰ぐバルトロメウと、口を動かしながらも侵害だと言わんばかりに彼を見上げるアムニシェルの姿を見て、エドモンドは何も言わずにもう一度紅茶を淹れ直した。砂糖ひとさじを加えたそれをバルトロメウの前に置くと、先に出してあったカップを下げる。


「言わんとすることは分かるけどね……ああ、そうだ。その市議長の家にある匣だが、心当たりはあるのかい? それがもしロスト・テクノロジーだとしたら厄介だ。個人所有のものなら、政府や軍部も回収できないからね」


 店内には軽快なジャズの音色と、女性たちの笑い合う声が響いている。大きくとられた窓の外に視線を向けながら、店主は自分の椅子に座ってカウンターに肘をついた。


「別に、ロスト・テクノロジーつったって戦争向きのもんが全てじゃねぇだろ。現に……なんだ、砂糖の種とか埋まってたって聞いたしよ」

「勿論。まあ私もそれについて多く知ってるわけじゃないからなぁ……無論危険性のないロスト・テクノロジーも多いし、結局それって随分前に失われた技術ってことだから、お前の言う通り戦争だけがその目的っていうのは少ないんだよ」


 魔女でなくともそれくらいの知識ならば少し調べればいくらでも判明する。だが、元々は古代文字の解読方法や前時代の農耕技術などを指したそれらよりも、失われた古代兵器の方がよっぽど人々の興味を引き付けるのだ。


 エドモンドの言葉を受け取ったアムニシェルが続ける。目の前の皿はもうすっからかんになっていた。


「表面的にはただの本でも、特殊な読み方や特別なアクセスでとんでもないことになったりすることもあるんだよ。だから基本的に、ロスト・テクノロジーは国家の管理下に置かれるべきなんだって」

「その国家が間違ったら、意味ないだろ。それ」

「うん。だから魔女は許可なしに国家が所有してるロスト・テクノロジーに触れないんだよ。戦争で沢山のロスト・テクノロジーが使われたから、そういう法律ができたの。今回みたいに本物かどうかが怪しいとか、個人所有ってなったらまた話は別だけど」


 あくまで今回は特殊なケースだ。個人所有で、ロスト・テクノロジーだという確証があるわけではない。そしてそれが本物だった場合は、持ち主の判断によって州政府か、或いはその上位機関である連邦政府に預けられることになるだろう。


「魔女が発動させない限り、ロスト・テクノロジーはただのガラクタだから……基本的に、魔女が間違わなければいいの。他の魔女がどう考えてるかはわかんないけど、少なくとも私とかお父さんは、戦争嫌いだよ。大昔の兵器なんてほっとけばいいんだって」


 紅茶を飲み終えたアムニシェルが眉を寄せてそんなことを言う。戦争がどんなものかを知らない彼女ではあったが、その凄惨さは幼い頃何度も父から聞かされていた。


 魔女として必要なのはそれを正しく管理する能力であって、悪用するための悪知恵ではない。

 父が説いた教えはおそらく、彼自身の体験から出たものなのだろう。


「まあでも、普通個人がロスト・テクノロジー持ってるっていうのも珍しいよね。一国の王族クラスじゃないと手に入らないって聞いたこともあるし……他に魔女の知り合いとか、いればいいんだけど。おじさんとかバール、知り合いいないの?」


 空になった食器を片付けるエドモンドは曖昧に笑っただけだったし、バルトロメウも考えるそぶりは見せながらも首を横に振る。上級軍人であったバルトロメウでさえ知り合いがいないというのもなんだか不思議な話だ。


「基本的にね、戦時中は自分が魔女であってもそう公言している人間は少なかったんだよ。ローゼンハイムが特殊。彼は……そうだな、逆転の発想っていうの? 自分が魔女だっていうことで自分の身を守ってたけど、それは彼が男で、身を守るだけの知恵を持っていたからさ」


 おかわりはいるかという問いに、首を横に振るアムニシェル。そろそろ夕飯の買い出しをして、家に戻らなければならない。バルトロメウは相変わらず、彼女が夜外に出ることを良しとしていない。


「俺も自分から魔女だって名乗ってんの聞いたのは、アンタとローゼンハイムの野郎ぐらいだな。今はどうか知らんが、魔女っつーのは生きてるだけで国家機密みたいなもんだった」

「今は結構、私みたいに魔女だって名乗って商売してる人もいるんじゃないの? 無理矢理ロスト・テクノロジー起動しなくてもいいし、……正直、魔女かどうかなんて幾らでも自称できるから」

「そういうもんか」


 二杯目の紅茶を飲み干したバルトロメウが背伸びするのを合図に、アムニシェルは財布を取り出して代金を支払った。この辺りが彼からすると非常に心苦しいようなのだが、ここではアムニシェルが彼の経済的な保護者の役割である。あくまで彼は、この国ではまだ技術者見習いだ。


「ごちそうさま! おじさん、また来るね」

「いつでもいらっしゃい。夜中でも早朝でも、君のためならいつだって店を開けよう」


 にこやかに手を振るエドモンドに見送られて、二人は店を出た。相変わらず、金髪の少女の後ろをのっしのっしと歩く大男の姿はどこか奇妙だ。


 用心棒よろしく後ろに付き従うバルトロメウに、アムニシェルは視線を上げる。


「ね、バール。射撃場行けなかったね」

「んなもんいつでも行けんだろーが。なんだ、行ってみたかったのか? 結構うるさいぞ、ああいう場所」

「行きたいっていうか、その銃がちゃんと修理できてるか見たかったの。あんまり自分が直したものとかのその後を見ることってないし」


 持ち込まれた機械は殆ど直すようにしているアムニシェルだが、『時計店』と謳っているようにその多くは時計や、直すのが難解なからくり仕掛けであることが多い。義手などを直すと依頼者が実際に付けている姿を見せてくれることもあるが、そうしたものの依頼はまだあまり多くないのが現状だ。


「銃なんて初めて直したし、ちょっと見てみたかったなーって、思っただけ」


 そう、それだけ。

 呟くようにそう言って地面をけったアムニシェルに、思わずバルトロメウが吹きだした。頭二つ分下からは汚いと抗議の声が飛んでくるが、そんなことはお構いなしだ。何というか、この少女は時折年よりもずっと幼く見える。


「アンタのそういうところがいいよな。ちょうどガキっぽくて」

「なにそれ! 人のこと馬鹿にして!」

「いやいや、馬鹿にしてなんておりませんぜ師匠」

「馬鹿にしてる! 今絶対した!」


 ニヤニヤ笑いのバルトロメウと彼に向かって顔を真っ赤にするアムニシェルの取り合わせは、師匠と弟子というよりは父にからかわれて怒る娘のように見える。待ちゆく人々が彼らを妙に温かい視線で見るのもそのせいだろう。


 やがてその視線に気づいたのか、アムニシェルがついに押し黙る。ただ、その視線だけはまだ物言いたげにバルトロメウを睨みつけていた。


「怒りなさんな。ほら、夕飯買いに行くんだろ? なんだったら特別に、なんか美味いもん作ってやるよ」

「……料理できるの?」

「生憎この年まで独り身なもんでな。肉料理がいいか? それとも魚?」

「お肉。お腹いっぱいになるやつ」


 まだむくれたまま、それでもぽそりと発せられた言葉に、バルトロメウはにかりと笑みを見せる。先ほどのニヤニヤ笑いとはまるで別人のようで、アムニシェルも見ていてよくここまで笑顔のバリエーションがあるものだといっそ感心すらしていた。


「いいじゃねぇか。ガツンといこうぜ!」


 高らかにそう宣言したバルトロメウは、アムニシェルの細い手を引っ張りながら橙色の街の中を突き進んでいった。