「お、オズベルク……市議長閣下、ですか……?」

「閣下だなんて大層な身分ではないよ、お嬢さん。たまたま推挙されて、たまたまその地位で踏ん張っているだけさ」


 早速話がしたいというオズベルク市議長を別の部屋に通して、アムニシェルはどうしたものかと頭を悩ませていた。この前のマラドゥイユ市議の時は終始秘書が間に入っており、当の本人と顔を合わせたのは一瞬だけだった。

 彼だけではなく、基本的に市議や州政府の人間は多忙を極めているのだ。だから、こうして面と向かってそういう立場の人間と話すことなんて、まだ先の話になるとばかり思っていた。


「お嬢さん……アムニシェルさんと言ったね。先日マラドゥイユ君のからくり錠前を直してあげたとか。マラドゥイユ君は大層喜んでいたよ。あれで子供のような男だから、次の日には議会に持ち込んで周囲に自慢していたようだが」

「きょ、恐縮です」


 バルトロメウは急に来た客人の為に店を一時閉め、来客用のティーカップに茶を入れて持ってきてくれた。角砂糖ひとつと、その傍らにはジャムが添えてある。アムニシェルの知らない紅茶の淹れ方だった。

 それを見たオズベルク市議長は、おや、と目を丸くする。


「懐かしい、これは帝国流かね」

「自分は帝国からの移民でして……お気に召さないようでしたら、今すぐおさげいたします」

「いやいや! 懐かしい、これは実に懐かしいよ。あちらの友人を思い出す。戦争が始まってからもう何十年も会っていないがね。彼もこうして、ジャムを添えた紅茶を淹れてくれたものだ」


 意外にもバルトロメウの所作は優雅そのもので、アムニシェルは彼が元貴族階級だと言ったエドモンドの話を思い出した。

 言葉少なに一礼した大きな弟子が、一歩下がってアムニシェルの座る椅子の後ろにつく。なんだか、とてつもなく大きな商談をしている気分だ。


「時にアムニシェルさん、マラドゥイユ君から聞いて君のことを少し調べさせてもらった。君の父君……ローゼンハイム・アプリコット卿は、連邦軍の魔女だったそうだね」

「……はい。でも父は、終戦前に勲章と軍籍を全て返還しています。父の責任で各国に大きな被害が出たのは確かですが、既に故人ですので、その」

「ああ! 違うのだよ。心配をかけてしまって申し訳ない。君の父君を悪く言っているわけではないのだ。私も彼の名を知っているが、悪い噂はほとんど聞いたことがない。調べたというのは、その後のことさ」


 迷わず紅茶にジャムを溶かした市議はニコニコと微笑んで手を組んだ。

 両親のことになると、大概は悪い言葉しか聞かない。それは二人の人となりというより、魔女や科学者に対する戦後の風潮から向けられることが多かった。


 魔女は、迫害こそされていないもの過去の遺物となりつつある。

 平和を目指す社会で、戦争の為に使われたロスト・テクノロジーは必要ないのだ。


「工業ギルドのマスターだったそうじゃないか。三人の『賢人』の一人だったと聞いた。娘である君も魔女として、ロスト・テクノロジーのアクセス権を持っているということも知っている。勝手に調べてしまって悪かったとは思っているのだがね、何分魔女を騙る人間もそう少なくはないんだ」


 多くのギルドを束ねる立場が、ギルドマスターである。マスターに与えられる『賢人』の称号は歴代三人ずつにしか与えられないものだが、ローゼンハイムは最年少でその称号を取得した。

 だが、それがアムニシェルの評価につながるかというのはまた別の話である。両親が偉大だという理由で特権が得られるほど、ギルドの審査は易しくはない。


「実は、私の家にある匣があってね。レーツェル・キューブと呼んでいるのだが……中に何が入っているのか、とんとわからないんだ。君はそれを開けてほしいと思っている」


 レーツェル・キューブ。謎の箱。

 安直と言えば安直な名前だ。からくり仕掛けか何かだろうか。或いは、魔女と知ってアムニシェルに依頼をした来るのならばロスト・テクノロジーの可能性も捨てきれない。少し身を乗り出して、市議長の目を覗き込む。


「レーツェル・キューブ……ですか」

「不思議な匣だ。マラドゥイユ君の錠前の様に、一つの動きで幾つもの仕掛けが動く。色々な修理屋に見せたが誰もが匙を投げたよ。そもそもアクセス権がないとまで言う者もいた」

「ロスト・テクノロジーのアクセス権は魔女以外は持ちえません。たとえ魔女の家族であっても、アクセス権がなければ魔女じゃないし、逆言えばアクセス権さえ持っていれば魔女を自称できます。この国にはまだ、魔女がいるはずでは?」


 戦争で多くの魔女を喪った他国とは違い、オムニェル=スタングの魔女たちは多く生き残っている。未だ連邦軍で研究事業に勤しんでいる者もいれば、軍籍を返還して市井で暮らしている者も多く存在する。


「君の様に自由に動ける身分の魔女は、そう多くないのだよ。軍部の魔女は個人の為には動いてくれないしね」


 オズベルク市議長がそう言って笑うのに、背後でバルトロメウが少し動きを見せた気配がした。


 つるりと頬を撫でただけのバルトロメウだったが、オズベルク市議長は目敏くそれを見つけると唇に深い笑みを刻んだ。

 咄嗟に、バルトロメウの体が強張る。


「バール……?」

「あぁいや、彼の様に体躯の大きな人間を弟子にしているというものだから、つい驚いてしまってね。もしかしてお弟子さんの方は、職業軍人かね」

「昔の話です。帝国近くの村で傭兵の真似事をしておりました」


 アムニシェルは彼が咄嗟についた嘘に目を丸くするが、当の本人は表情を変えることなく続ける。


「クレム・グレソンという村をご存知でしょうか。自分はあの村で、自警団の一員として怪我人の救助や野党化した軍人の討伐を行っていた次第で。その折に大怪我を負ってしまったところを、在りし日のアプリコット卿に助けられたのです」

「なるほど、彼女には恩があるというわけか」

「……まあ」


 よくもまあ、ここまでぬけぬけと大嘘がつけるものだ。

 元は帝国軍人、それも大層な家柄の出だと本人の口から聞いたアムニシェルは、開いた口が塞がらない。しかも言葉の端々に田舎訛りまで組み込んでくるから大した役者だ。


 ぺらぺらと自分の来歴を騙るバルトロメウに、市議長はなるほどと立派な髭を撫でつけて頷いた。


「大恩に報いるためにわざわざこの国に……その心意気や天晴としか言いようがありませんな。我等がオムニェル=スタング連邦共和国はあなたの様な移民をも歓迎しよう」


 市議長の微笑にもバルトロメウは表情を崩すことはない。

 アムニシェルやエドモンドと一緒だと回転木馬のようにクルクル回る表情が、まるで仮面でも被っているかのように微動だにしなかった。


「いやしかし……これが難しい仕事であることに代わりはないのだよ。ゆっくり考えておくれ。ただ私の好奇心の為だけに、君の時間を無駄にするというのも心苦しい」


 そう言って市議長は店を去ったが、連絡先として教えられたのは彼直通の電話番号だった。恐らく、逃げられそうもない。


 しゃんと伸びた背中を見送ったアムニシェルは長く深くため息をついて――そしてそのまま、カウンターに背中を預けて床に座り込んでしまった。銃を直している時から、気を張りっぱなしだったのだ。


「バール、なんでさっき嘘ついたの?」

「あ? 嘘ってなんだ」

「辺境の村にいて、自警団やってたっていうの」

「あぁ、ありゃ確かに真っ赤な嘘だ」


 ボリボリと頭を掻き始めたバルトロメウは、自分よりも頭二つほど小さな師匠の隣にどっかりと腰掛けて、低く舌打ちを飛ばした。


「あのじいさん、かなりの食わせ者だぜ。いかにも温厚デスって感じだが、どうだかな」

「そ、そうなの?」

「紅茶の飲み方、見たか? 俺が出した茶を一発で帝国流って見抜きやがった」


 市議会の議長をしている時点でかなりの人格者であると思うのだが、どうやらバルトロメウの方はそうではないらしい。

 だが、ジャムと砂糖の両方を添えた飲み方はここら辺ではまず見かけないものだし、彼のような人物が国外の人間と交流がない方がおかしいだろう。


「あのな、良いこと教えてやるよ小さなお師匠様。帝国流紅茶っていうのは二通りあってな、一つは庶民や軍人が飲む飲み方。もう一つは貴族や王族が好む飲み方だ」


 バルトロメウは、二本立てた指の、まず人差し指のほうを押さえた。


「大体の人間が飲むのは普通の紅茶だ。熱く入れたお湯に茶葉を淹れて、少しばかり蒸して飲む。帝国民は紅茶が好きだが、庶民や軍人は時間がねぇからな。砂糖だけ溶かして飲む。溶かさない場合もあるし、茶葉もまちまちだ」


 次に、中指の方を押さえる。アムニシェルは興味深げに何度も頷いては、少し身を乗り出したような体勢でその話を聞いていた。


「次に貴族。こっちはミルクやジャムなんかを割とふんだんに使う。使う茶葉も高級で薫り高いものが多いから、そのまま楽しむって人間ももちろん多くいるが……基本的にジャムを使うのは上流階級だけだ。あのじいさん、迷わずジャムの方を淹れやがった」

「で、でもジャムなんてその辺で売ってるよ? そんな高級なものじゃないのに、変なの」

「昔からの慣習っつーのと、まあ土地柄だな。帝国は寒冷地が多いから、砂糖は基本的に高級品だ。庶民が使うにしろ質がいいわけじゃねぇ。アンタがさっき言ってた、北国でも砂糖が取れる技術ってのが本当ならそれもいずれは改善するんだろうけどな」


 戦時中ということもあって、砂糖はさらに高騰していたらしい。ここ五年ほどでぐんと値段が落ちたそれを高級品だとは思えなかったが、取りあえず頷いておく。自分が生まれる前のことをいくら考えても、想像がつかないものは仕方がない。


「とにかく、あのじいさんの知り合いっていうのはほぼ間違いなく貴族、或いは高級官僚だ。言葉尻探っても死んだなんて仄めかしてねぇから、多分生きてる。その上で俺の身の上を聞いたんだぜ? 性格悪ィったらありゃしねぇ」


 もう一度鋭い舌打ちを飛ばして、バルトロメウはずいとアムニシェルに顔を近づけた。周囲を気にするように視線を巡らせて、そっと耳打ちをする。誰が聞いているのかも、分かったものではない。


「アンタのこともローゼンハイムのことも、相当調べられてるに違いねぇ。エディに言うなりして何とか考えた方がいいかもな」

「で、でもお客さんのことをあんまり悪しざまに言うのは――それに、守秘義務もあるし……何より、なんか逃げられない気がして」

「難しい言葉知ってんじゃねぇか。それに、その悪い予感も多分当たってるから誇っていいぜ。流石だ」


 そんなところを褒められてもまったく嬉しくない。

 大体、出会ってまだ数日しか経ってない年上の弟子に褒められるというのがそもそも複雑な気分だった。


 それでも、きっとバルトロメウは頼りになる。

 あの少しの時間でそこまで市議長を警戒できるかと言われれば、アムニシェルにはまず無理な話だっただろう。


「しばらくは俺が帰ったらドアも開けんなよ。朝もだ。エディには言っとくから、アンタはそのロスト・テクノロジーとやらをどうにかするか考えな」


 もしかしなくても厄介な問題だ。

 ライブラリにそんな資料はあっただろうかと考えながら、アムニシェルはまた溜息をついた。