「贋作って、そんなの作ってどうするの? 売るの?」


 モノクルを外して目を何度か瞬かせながら、アムニシェルは素朴な疑問を口にした。刑務所で贋作を作るということは、国家単位で偽物の製造を容認しているということだ。戦敗国のシュトレーゼ帝国は各国から膨大な賠償金を請求されているが、そんなことをしなければならないくらい財政が逼迫しているのか。


 倍率の調節を終えてもう一度低位置にはめられたレンズを眺めながら、バルトロマイはその問いに答えを出した。


「売る。だがそれを主導してんのは看守でも、ましてや皇帝陛下でもねぇ。指示してんのはな、あの戦争で勝ち残った国ばっかりだよ。財政的中立だったこの国や永世中立の立場貫き通したスレヴド共和国なんかは、まあ見て見ぬふりだわな」


 銃身の汚れを落とすアムニシェルの視線は一度も上がることがなかったが、その話をしている間はほんの少しだけよどみない指先が停止した。

 

 集中しているなら話をやめるべきか。

 会話を止めようとしたバルトロメウに、「続けて」と声がかかる。柔らかな声音だったが、眼差しと表情ははっとするほどに堅い。


「……まあ、俺たちがやってきた『奉仕活動』っつーのはな、つまりは戦勝国の金になることをするんだ。それがボロボロになった国家と、傷つけられた民への償いだって言われてな。さっきも言ったみたいに、作るのは全部国宝級の絵画や彫刻、刀剣に装飾品ばっかりだ」


 銃身の中についたすすや廃油をこそげとった布が真っ黒になったのを見て、アムニシェルはそれを屑籠に捨てた。後で専門の業者に渡せば、こういう品でも引き取ってくれる。

 

「偽物ばっかり売ってるって、それ問題じゃないの? ただでさえ国宝ってなったら、偽物とか沢山あるのに」

「そこはホレ、手先の器用な軍人の三男坊とか、芸術で身を立てた貴族の跡継ぎなんかを連れてくるんだよ。精度が高い贋作は高く売れる。だがこの方法が使えるのは一時的で、そのうち話題になるわな。例えばマイネンベルク王家に伝わる宝珠がそこらの伯爵家や金持ちの商人の家になんざあるわけがねえ」


 そこでまた、アムニシェルは空気洗浄を行うために機械に手を伸ばす。そろそろ目に見えた汚れはほとんど落ちてきて、汚れのせいで浮き出ていた細かい汚れも目立たなくなってきた。


 うまくやるもんだ。

 その様子をしげしげと眺めていたバルトロメウは思わず息を零したが、大きな瞳が続きはまだかと言わんばかりに彼を見上げてくる。咳払い一つ零して、話を続ける。


「わざと欠陥品に作るんだ。絵の具を質の悪いものにしてみたり、わざとらしくサインを書き間違えてみたり。素人目にはわからなくても、ちゃんと鑑定すりゃあっという間に贋作だってわかる出来に、わざとつくるんだよ」」

「なんで? 鑑定士の人が分からないくらい精巧に作れる人とかはいないの?」

「本物は俺らには手の届かないような場所にあるからな、全部が全部本物っていうのは無理だ。それに、あからさまな偽物の方が後でいいんだよ」


 そこで一息つこうと、アムニシェルがグッと背を伸ばす。部品自体は綺麗に仕上がったが、これからさらに組み立てが待っているのだ。


 一度モノクルや工具の類をすべて手放して大きく息を吐くと、年若いバルトロメウの師匠は続きを早くとせがむ。だがその表情は、お伽噺の続きを期待している子供の様に晴れやかではない。恐いもの見たさというか、彼女の中で好奇心が恐怖と拮抗しているのだろう。自由の身となったバルトロメウが今更隠すことでもないが、これは国家間でのある種禁忌に触れるようなものだ。


「さっき例に出したマイネンベルクでいいか。偽物が横行し出した頃に、向こうの王室がこう言うんだよ。『我が王家に伝わる秘宝はそのような贋作とは似ても似つかない』とかな。金と人を動かして大々的に広報すれば、数多の贋作や試作品の頂点を持つその国の権威は上がる」


「うん? ごめん、バールの言ってることちょっと意味わかんない」


「皆がみんなガラス玉しか持ってないのに一人だけ宝石持ってりゃそりゃ注目の的だろ? そういうこった」


「ん、あぁそういう事か。偽物を売ったお金もその国に入るし、一石二鳥なんだ」


 合点がいったのか、アムニシェルの表情がパッと明るくなる。そこら辺は年相応というか寧ろ幼いようにも見えて、思わずバルトロメウも笑みをこぼした。


「まあ、もっと悪い場合はその王家が持ってる『本物』自体が贋作ってこともある。正直、敗者は搾取されるだけだ。救いなんざどこにもねぇよ」

「……バールって、結構重たいこと、普通に言うんだね。私だったら無理だよ」

「そりゃアンタの二倍以上生きてるからな」


 上から勢いよく彼女の金髪を押さえつけたバルトロメウは、そのまま左右にグシャグシャと手を動かした。ひっつめた髪がたちまち乱れて、悲鳴とも叫び声とも知れぬ声が上がる。


「なにするの! これから組み立てるのに邪魔になっちゃうじゃない!」

「だったら切りゃいいじゃねーか。ま、もったいねーわな、こんだけ綺麗な髪だったらよ。母親譲りか? ローゼンハイムはこんな色してなかったな」


 バルトロメウが茶化してそう聞くと、アムニシェルはたちまち顔を真っ赤にさせて小さく一度だけ頷いた。彼女がまだ幼い頃に亡くなった母は顔もほとんど思い出せないが、眩いブロンドの髪はその母から受け継いだ大切な遺品の一つだ。


「お父さんは黒髪だったから。でも、エドモンドおじさんに聞いたら似てるのは髪の色だけだって」

「ほーう」


 アムニシェルの母であるプリエーラは、戦争初期に活躍した科学者であるらしい。娘である彼女自身はもとより、バルトロメウですら名前しか聞いたことがないのは彼女が早々に戦線を離脱したからだ。


 ようやく顔の赤みが引いたアムニシェルは肩を上下させるとまた作業に戻っていった。

 バラバラにされた綺麗に磨き上げられた部品がもう一度集められると、先程解体した時よりも早く組み立て上げられる。流石に深い傷は隠しようもなかったが、これも味だろう。そう銃の構造に詳しくはないため改造などは出来なかったが、弾丸を込めて射撃を行うことならこれで可能なはずだ。


「んー、一応射撃の訓練場があるから、後でそこに行ってみよっか。お店閉めた後になっちゃうけど、いざ使うって時に暴発すると危ないし」

「そん時使って暴発したらどうすんだ」

「そ、それは大丈夫だと思う……ちゃんと直せたよ」


 年若くてもアムニシェルは職人である。物心ついた時から父について学んだ自信があった。上目がちにバルトロメウを見上げて唇の端を吊り上げると、彼も破顔一笑する。


「おー、信じるぜ師匠。いやいや、実際綺麗になったもんだ。持ってみていいか?」

「うん」


 元々の黒い回転式拳銃が、年月を重ね傷や埃の沈着などでさらに重厚さを醸し出している。会えて新品同様にしなかったのは、その方が傷だらけのバルトロメウの手に合っていると思ったからだ。

 バルトロメウは両手で恭しく銃を捧げ持つと、自分の右手で一度回転させてグリップを握った。銃を構える音が鳴ると、ニヤニヤ笑いが特徴的な目が一瞬だけ鋭くなる。


「おぉっ!」

「気に入ってくれた? 初めてにしては結構頑張ったんだよ」

「気に入ったも何もアンタ、こりゃ……」


 感嘆の声を上げるバルトロメウは銃身やグリップを何度も掌で撫でながら唇をわななかせていた。相当の思い入れがあるのだろう。目尻にはうっすらと涙すら浮かんでいる。


「こ、コレくれたのが当時の部下たちでよ、あんな戦場のイロハも分かってねぇ新米ボンクラ指揮官に、着任祝いだってくれたのが、これでよぉ」


 ついにはズッと鼻をすすり始めたバルトロメウに、アムニシェルは何も言わずに席を立った。住居から大きなマグカップを二つ持ってくると、その中に紅茶を注ぐ。薬缶で適当に入れたものだが、何もないよりましだろう。一つを差し出すと、涙目の大男は礼を言ってそれを受け取った。


 アムニシェルの手に余る大きさのマグが、彼が持つと小さく見えるから不思議だ。ようやく落ち着いた大きな弟子の様子を見て、息を吐く。


「指揮官だったんだ」

「家柄だけはよかったからな。……おいおいなんだこりゃ、随分温ぃな」


 バルトロメウはそう言うと勝手に奥に入っていって、お湯が入った薬缶を持ってきた。温度が低すぎる、ティーポットの中で茶葉を蒸らせなど様々指示を飛ばした後で、心底憂鬱そうな溜息をつく。


「え、そう? ウチだといつもこんな感じだけど」

「あァ!? アンタいつもこんな紅茶飲んでんのか――おいちょっと茶葉貸せ。帝国流の美味い紅茶淹れてやるよ」

「飲めればいいじゃん」

「良くねぇっ!」


 先ほどまで涙目で震えていた男とは思えないほど力強くそう言ってのけると、バルトロメウは勢いよく立ち上がった。だが、それと同時にドアベルがチリリンと音を響かせる。


 扉の向こうから顔を出したのは、上品に帽子をかぶった老紳士だった。


「あ、い、いらっしゃいませ!」

「あぁ驚かせてしまったね。すまない……この店の店主に話が合ってきたのだが、アムニシェル・アプリコット殿はどこにいるのかね?」


 老紳士は辺りを見回すと、バルトロメウで視線を止めた。壮年の大男と少女では、やはりそちらに目が行くらしい。


「いや、俺はまだ見習いっつーか、ここで間借りしてる便利屋なんで……師匠のアムニシェル・アプリコットはこちらです」


 バルトロメウは背を丸めて頭を掻きながら、左手でアムニシェルを指した。老紳士の目が驚きで見開かれるが、これも彼女にとっては慣れたことである。苦笑気味にカウンターを出ると、深く一礼をする。


「私が店主のアムニシェルです。えぇと……修理のご依頼でしょうか?」

「ははぁ、随分と若い職人さんだ。いや、若いことを厭うているのではないのだよ。許しておくれ」


 感心したように声を漏らした老紳士は、自らも被っていた帽子を脱いで一礼した。僅かに、バルトロメウが顎を引く。帽子を脱いだ時の視線の配り方が少し特徴的だったのだ。


「私はオズベルク・モルデと申しましてな。市議会の端っこでちょいとした弁士の真似事をしております」


 息を飲んで、アムニシェルの動きが止まった。