アムニシェルの家は、店舗と一体型になっている。店の奥と二階が住居、半二階になっている屋根裏部屋は両親が集めた膨大な書物の置き場所になっている。見事なまでに二人揃ってバラバラに集めた本が置いてあるそこを娘のアムニシェルは「書庫」と呼んでいたが、実際の書庫はもっと整然としているものだ。


「アクセス、ライブラリに接続します」


 この家に住んでいるのは一人きりだから、鍵をかけることもない。希少本はあらかじめ両親がアクセス制限を設けていてくれた。それらの本に触れられるのは16桁の暗証番号を知っている人間だけ。つまりアムニシェルと、二人が全幅の信頼を寄せて彼女の保護者にと選んだエドモンドだけだ。


「おはようござイます。ユーザーのアクセス権限を確認しまス。認証番号ヲ16桁、パスコード7桁の入力をお願イします」


 どこからともなく、女性のものと思しき機械音声が聞こえてきた。本棚の後ろに埋め込まれたスピーカーだ。声の主は、生前の母プリエーラである。娘が物心つく前に死んだ愛する妻の声を、ローゼンハイムはこうして遺してくれていた。


 16桁の認証番号と7桁のパスコードを音声入力すると、アムニシェルは本棚の一番奥まで歩いた。埃っぽい書庫には電灯がついていないので、古臭いランプを持って歩かなければならない。棚の他にも床には幾つか本の塔が出来ていて、下手をすれば頭からそれに突っこんでしまう羽目になる。


「ライブラリ、項目検索をお願い。回転式拳銃なんだけど、手入れの方法を知りたいの」

「それはロスト・テクノロジーですカ?」

「ううん、すごく簡単な造りのやつ。でもバールは、色んなタイプの弾丸を詰められるって言ってた」

「畏まりまシた。ライブラリを検索中デす」


 音声検索は使いやすいが、本を自動で取ってくれたりはしないので、示された場所には自分で行って自分で取らなければならない。高いところにある本はどうしても梯子が必要だし重たい本は運ぶだけでも一苦労だった。今度からはこれをバルトロメウに頼もう。そう決意して、アムニシェルは検索結果を待つ。


「検索結果3件でス」

「一番詳しく書いてあるやつがいいな。場所の提示を」

「畏まりまシた――照合完了。右かラ三番目、最下段の棚、著者名はヨナタン・エグナムでス」


 指示された場所で、読みづらい装飾文字の中から著者名を探す。該当したのは一冊の古い本だったが、幸運なことに何とも手に取りやすいサイズだった。

 その場でそれをぱらぱらとめくると、ライブラリに貸出申請をする。これがないと、本が紛失扱いになってしまうのだ。


「アクセス終了。後でまた返しに来るね」


 古惚けた家で、ここだけが最新鋭の科学技術が使われていた。最新鋭といっても七年前のそれはもう使い古された技術なのかもしれないが、国立図書館でもこのシステムを見かけたことはない。


 屋根裏の書庫を後にしたアムニシェルは、ぐっと背伸びをして窓の外を見た。今日はこれといった依頼もないし、お客さんが来るまではあの古い銃の手入れでもいいかもしれない。


「その前に朝ご飯食べないと」


 くきゅぅと主張し始めた腹の虫に小さな息を漏らして、アムニシェルはキッチンに向かった。



 バルトロメウの当面の宿は、エドモンドの知り合いの安い宿屋になったらしい。基本的に徒弟制度では給料の支払いは発生しない代わりに師匠がその衣食住の面倒を見るのだが、今回の場合は特別だ。アムニシェルの仕事に付随する雑務を、彼女から便利屋バルトロメウへの「依頼」という形で料金を発生させるシステムにする。提案したのはエドモンドだった。


「君みたいな子がそもそも徒弟を取ることがないからね。ギルドへの申請は終わったかい?」

「うん。ちゃんと身分証明書も貰ってきたから、これ、バールに」


 バルトロメウの居場所は、カウンターのすぐ横に備えられた小さな机になった。そこで作業をするからにはもう少し大きな、出来れば重たいものの方がよかったのだが、即席で用意できたのがそれくらいだった。小さな机の後ろで体を丸める大男の様子は、どこか奇妙なものがある。


「おう……これ、持ってりゃいいのか」

「うん。私が認めたらちゃんとした市民権を獲得できるけど、半年はこの国に住まなきゃいけないの。あとそれがないと病院でもバカみたいなお金とられるから、なくさないように注意してね」


 あらゆる国の文化を統合したこの国では、社会保障の制度もそれなりに充実している。ただ、その恩恵が受けられるのが多く市民権を所有する人間だけだ。移民が市民権を得るには、オムニェル=スタング人と結婚するか、その土地で職業に就くしかない。それらの手段の中で最も手っ取り早いのが徒弟制だった。


「それじゃあアミー、私は店に戻るよ。バールをよろしく。何かあったら私を呼んでくれ。バールは精々アミーに迷惑をかけるなよ」


 そう言い残して、様子を見に来ていたエドモンドは店に帰って行ってしまった。彼が営むカフェは若い女性に大層人気がある。最近は高騰していた砂糖の値段も抑えられてきたので、甘味も再び庶民の口に入るようになってきた。


 そう教えると、バルトロメウはつるりとした顎を撫でた。いかにも大雑把に見えるのに、そうした手入は怠らないらしい。


「砂糖なぁ……南のシグムード城砦が陥落してから酷いことになったっつーのは聞いてたが、どうにかなったのか」

「今は北国でも砂糖が作れるよ。マイネンベルク王国の魔女が起動させたロスト・テクノロジーの中に、そういう植物の種を芽吹かせる方法が書かれてたんだって」

「ほーう。俺にゃようわからん話だな。北国でも砂糖が穫れるなんてよ」


 十五年も刑務所の中に居れば流石に世界は大きく様変わりするだろう。権勢を誇っていた大帝国がそこらの小国に権益を根こそぎ奪われるということもあれば、小国の寄せ集めが平和な町を築くこともある。


 感慨深げに溜息をついたバルトロメウを横目に、アムニシェルは先程から木製の盾の様なものを準備していた。大きさは、椅子に座った彼女の上半身がすっぽり隠れる程度だ。


「それ、何してんだ」

「んー、一応煤とか埃よけもあるし、それが原因で暴発したら困るから。火薬が少しでも残ってること考えて」


 そう言いながら今度は可動式モノクルの調節をしている。そんな彼女の目の前にあるのは、先日バルトロメウが差し出した古い拳銃だった。

 幾つかの器具を使って部品を取り出していくと、その度にモノクルのレンズがくるくると回転して別のものに代わる。


「なんだ、目ェ回んねぇかそれ」

「レンズの種類と枚数で倍率変わるから、こっちの方が手動よりずっと楽だし正確なの。流石に細かい調整はこっちでしなきゃいけないけど……ねえバール、部品無くならないようにしっかり見ててね」


 バレルやシリンダーを抜き、慎重にその手入れをしていくアムニシェルの姿は到底十四歳の少女には見えない。

 修理できそうな機械ならば何でもと言っていたが、銃の手入れも慣れているのだろうか。真剣な横顔に声をかけることをためらっていると、ハシバミ色の瞳がレンズの奥からバルトロメウを見詰めていた。


「どうしたの?」

「あ、いや……慣れてんのか、銃も」

「これが初めてだよ。何日か前からずっと本で読んでたけど実物触るのだって初めてだし。だからもう、手なんか汗ばんじゃうし指は震えるし大変なんだから。やっぱりこういうのって、バールの方が得意なんじゃないかなって思うくらい」


 軽快な口調で話していても、その視線は分解された銃にくぎ付けになっている。指先もよどみなく動いては、天井からぶら下がる妙な機械や潤滑油に伸びている。圧縮された空気が押し出される特徴的な音にかき消されないよう、バルトロメウは声を張った。


「得意じゃねーよ。こういうのは触ったこともねぇ。社会奉仕っつっても、俺ァどっちかってと彫刻とか絵画とか、そっち方面だったからな」

「刑務所なのにそんなのがあるの? へえ、意外と優雅なんだね」

「そう思うだろ?」


 ふしゅ。

 気の抜けるような音を出して動きを止めた機械を元の位置に戻しながら、アムニシェルは顔を上げた。

 高い位置で一つに結わえた髪が一房落ちて、緊張でやや上気した頬にはらりと落ちた。


「え、違うの?」

「趣味で描いてたんじゃ奉仕にならねぇだろ。俺らが作ってたのは贋作だよ。それも国宝級の絵画の贋作。ニセモンだ」


 意地悪くニヤリと笑ったバルトロメウは、バラバラに分解された相棒を見て肩を竦めた。