オムニェル=スタング連邦共和国は、七つの小国が戦争を生き抜くために寄り合わさった姿だ。戦後十五年、戦火の爪痕深い国ではまだ復興が進んでいない地域も多くある中、絶対中立を掲げたこの国の現状は恵まれている方だと言えるだろう。


 国の宝というべきロスト・テクノロジーの損害もほとんどなく、それによる「魔女」の損失も多くはない。

 

 終戦十五年。

 その文字が煌びやかに踊る紙面を見ていたアムニシェルはそこまで読んで、ほぅっと息を吐いた。特に面白い記事があったわけではないが、お祭り騒ぎに乗じて仕事が舞い込むかもしれない。


 白い手には些か大きすぎるマグカップに注がれた紅茶を飲み干して、ぐぅっと背伸びをする。明り取りだと言って父が無理矢理つけた食堂の天窓からは、仕事を放りだしたくなるほど澄み切った青空が広がっている。

 まるでペンキでもって塗りたくったみたいだと、アムニシェルはいつもそう思っている。


「えっと、ホゼットじいさんの懐中時計……よし、マラドゥイユ市議のからくり錠前も持った……道具は向こうにあるし、うんうん」


 アムニシェルは今年十四歳になったばかりだ。戦争を知らない。

 ただ父も母も、国は違えど軍人として戦争に参加していた。今は二人とも天の彼方にあるという神の御許だろうが、恐らくこの平和を喜んでくれているのではないだろうか。


 紙質の悪い新聞を屑紙入れに放り投げて、アムニシェルは欠伸をかみ殺しながら家のリビングを後にした。少女の一人暮らしが出来るほどこの国は安全ではない。部屋の中が割と綺麗なままなのも、彼女の保護者が足しげくこの家に通ってきてくれるからだ。


「エドモンドおじさん、今日は来てくれるのかな」


 仕事で使う可動式のモノクルに数種類のレンズをはめ込んで、少女は満足げに微笑んだ。母親譲りの鮮やかなブロンドをひとくくりにして、隣接している工房兼店舗に入れば、その顔は幼い少女のものではなく職人の表情に生まれ変わる。


 お客さんの入りは、悪くないはずだ。

 最近は「エドモンドおじさん」経由での注文も増えている。七年前、父の死で途方に暮れていた時と比べたら、大分人間らしい生活が送れるようになっている。


「おはようございます、シムさん」

「おぉ、お早うお嬢ちゃん。どうだね調子は」

「お陰様で。この前直した壁掛け時計、大丈夫? 部品交換くらいだったらいつでもするから」

「いつも悪いね。今度は家内の形見の発条仕掛けも見ておくれ」


 近所に住む好々爺との会話をつづけながらも、アムニシェルは重たい看板を店の中から引きずり出してきた。こういう時、やはり男手があるとかなり助かる。だが彼女は一人暮らしだし、頼みの綱の「エドモンドおじさん」もやってくるのは大概昼食を食べ終えてからだ。


 ……お父さんが生きていた頃は、今より多少なりともマシだった気がする。

 

 軍人とはいえ割と貧弱だった父の猫背を今日も思い出して、木製の看板をずるずると引きずる。


 ――アプリコット時計店。壁掛け時計から軍部御用達からくり義肢まで。身近な機械をお手ごろ価格で修理いたします。


 丸っこい文字で書かれたそれを一番目立つ店前に出して、アムニシェルはいそいそと店内に戻っていった。


 店のカウンター、店主であるアムニシェルの特等席に座ると、彼女は一昔どころか三昔位前のラジオを取り出して、これまた埃をかぶっているようなスピーカーに繋いだ。


 二つを繋ぐコードだけがちぐはぐに新品だったが、これはアムニシェルが一番初めに修理した、母の形見の品である。恐らく何度壊れても、本当にダメになってしまうまでは修理して使い続けるだろう。彼女には、その技術があった。


 スピーカーが歌い始めて店内に音楽が充満すると、たちまち店は彼女の城になった。機械仕掛けが壁を埋め尽くすように歯車を回している。その無機質な音が、到底面白味があるとは思えない下手なジャズと組み合わさっているのだ。それだけで、店内は華やぎをもたらされる。これを教えてくれたのは、となりの国からやってきた親切な旅人だ。


 アムニシェルが鼻歌交じりに預かった時計を磨いていると、すぐに壁掛けの電話がジジジリリと鳴り響いた。


 おじさんだろうか。

 或いは、お仕事の依頼。どっちでも嬉しいけど、何となく今日はおじさんが店にやってきそうな、そんな予感がする。


 電話の向こうの相手を予想しながら、アムニシェルは真鍮で装飾の施された受話器を取った。


「はい、アプリコット時計店店主のアムニシェル・アプリコットです」


 かかってきた電話は、からくり錠前を修理してほしいと依頼してきたマラドゥイユ市議の秘書からだった。いかにも芯の強そうな、凛とした声が電話の向こうから聞こえてくる。出来上がった品物を午前中には取りに来るというのだ。

 ちょうど納品日の確認のために連絡を入れようと思っていたところだったので、丁度いい。


「はい、はい。わかりました。ではお待ちしておきます……はい。仕上がりは上々です。市議にもよろしくお伝えください」


 市議の錠前は先祖代々の品だと聞いている。見た目は金属を組み合わせた様な立方体だが、一つ鍵を閉めただけで三つのからくりが動き出し、最終的には球体を模した形に形態が変わる。


 アムニシェルでもめったにお目にかかったことがないそれは、数百年前に弟子をとることもなく死んだ天才職人の手によるものであったらしい。古いものなので知識さえあれば触れることは出来たが、これではロスト・テクノロジーとそう変わらない。


 形が変わり切る直前の不格好なまま壊れてしまったそれを、二週間かけて彼女は元の立方体に戻した。借りておいた鍵を入れるとしっかりと、少し歪な球体に変化するため、修理は成功したと言っていいのだろう。


 アムニシェルはしっかり梱包したそれをカウンター下の机に入れて、秘書がやってくるのを待っていた。




「素晴らしい出来です。きっと市議もお喜びになるでしょう」


 眼鏡の奥から柔らかい視線を見せて、マラドゥイユ市議の秘書は確かにそのからくり錠前を受け取った。

 流石に市議ともなると報酬も破格なのだが、今回は難解なからくり相手だったので更に上乗せがある。自分でもなかなかの仕事をしたと胸をなでおろすと、秘書は思いついたように顔を上げた。


「アムニシェルさん」

「は、はい。何でしょう」

「市議の御友人が、あなたの噂を聞いていらっしゃるようでして。もしかすると近日中に使いの方がいらっしゃるかもしれません」

「市議の御友人、ですか?」


 オムニェル=スタングは、小国同士が集まった連邦制の共和国だ。連邦政府のほかに七つの州政府、その下に市議会が置かれ、依頼主であるマラドゥイユ市議らが行政の運営を行っている。


 市議の友人ということはそれなりに地位のある人間である可能性が高い。

 今回もそうだったが、社会的地位の高い人間からの依頼はいつも緊張する。アムニシェルの少ない経験上でも、戦後生まれだとなにかと軽んじられることが多いのだ。


「はい。詳細はこちらでは何とも言えないのですが……なんでも、ロスト・テクノロジーの修理を依頼したいとか。確か、アムニシェルさんは魔女の血を引いていましたね」

「え、えぇ……父が、この国の魔女でした。七年前に他界していますが――」


 魔女というのは、多く戦時中に活躍した技術者たちの総称である。

 昔話によれば千年前以上に失われた技術や機械についての造詣が深く、多くは家系によりそのアクセス権限を有している。多くが女性であったため「魔女」という呼称が使われていたが、アムニシェルの父、ローゼンハイムは数少ない男性の魔女であった。


 魔女の子は親からロスト・テクノロジーのアクセス権を引き継ぐことが出来る。つまり、アムニシェルもまた魔女たる素質を有しているということだ。


「でも私、ロスト・テクノロジーなんか触ったこともないです。父が魔女だったのは戦時中だけだし、ただでさえそんな国家機密扱いのものを……」


 アムニシェルは言いよどんだ。

 例えば、戦時中に活躍した兵器などは、戦後多くの国で行われた法改正により制作が不可能になっている。開発に携わった者の多くが戦死したり、兵器製造の咎で未だ獄中という者もいるのだ。そういった、状況的に作ることが不可能なものを指してロスト・テクノロジーということもあるが、幾ら市議とはいえそんなものを個人で所有できるとは思えなかった。


「もどき、という可能性はありますか?」

「さあ、その辺りは私からは何とも……それでは、私はこれで」


 恐らく詳細は彼女も聞いていないのだろう。

 一礼して店を去っていった秘書の背中を見送って、アムニシェルは深い息をついた。


 ロスト・テクノロジーだなんて、触ったこともない。

 父親から存在を聞いた時も、彼は「恐らく君の未来には必要のないものだ」としか言わなかったのだ。父の時代は、ロスト・テクノロジーは多く太古の生物兵器や、途方もない人数を動かす戦術が書かれた兵法書などを指していたらしい。


「でもまだ依頼も来てないし……最悪、エドモンドおじさんなら色々教えてくれるかも」


 飄々とした保護者のことを思い出して、取りあえずまたカウンターの奥に腰かける。

 職人気質な世界だ。

 父の代わりに店を初めて七年、未だこの業界だとアムニシェルは駆け出し扱いである。大きな後ろ盾もない、十四歳の小娘がこうして仕事を勧めてもらえるだけ御の字というものだろう。


 既に預かっていた機械の類は全て持ち主のところに戻り、午後は部品や道具のメンテナンスにあてることが出来る――昼は食べに行こうか、それとも一度家に戻って何か作ろうか。


 確定してもいない仕事のことであれこれ考えるのは効率が悪い。

 アムニシェルがぽつぽつと予定を立てながら取り外したモノクルのレンズを磨いていると、木製のドアが外部から二度、叩かれた。


「あ、はい、いらっしゃい!」

「や、アミー」

「おじさん! ……と、お客さん?」


 扉についた鈴が、開け放たれたことによってチリンと鳴る。

 その向こうから顔を出したのは、人の好さげな笑顔を浮かべた男だった。髪の一房を赤く染めている。その後ろには、人と比べて長身であるはずの彼と比べても頭一つ分大きな男が一人。体格がいい。


「お客さんというかね、まあ、新しくこの街にやってきたというか。椅子、借りるね」

「えぇ、それは構わないけど……おじさんはこっちに。お客さんはこの椅子にどうぞ。あ、店主のアムニシェル・アプリコットです」


 おじさん、とアムニシェルに呼ばれたのは、この街で何かと彼女の面倒を見てくれ男性だった。

 エドモンド・パーシェルバウツ。父の元同僚で、今はしがないカフェの店主である。


 エドモンドは慣れた仕草で三脚の椅子に座ると、優雅に足を組んでカウンターに頬杖をついた。もう三十の半ばを過ぎているが、その仕種は優雅で洗練されている。


「アプリ、コット……?」


 エドモンドに連れられてやってきたもう一人の男が、唸るような声でそう呟いた。この反応を見るのは、珍しいことではない。特に彼の様な、筋骨隆々でいかにも軍人然とした人間ならば、彼女の姓を聞いて眉を顰めるのはよくあることだった。


「アンタ、ローゼンハイム・アプリコットの娘か。戦勝国唯一の、男性魔女。災禍の称号を欲しいままにした、戦時中最悪の――」

「わ、私のお父さんのことそんな風に言わないで!」


 どうして見ず知らずの人物にそんなことを言われなければならないのか。

 アムニシェルの両親を知るという人間の、およそ半分はこうした態度をとった。父も母も軍籍にあったことは知っている。戦時中だ。技術畑の人間であった母のせいで多くの人間が兵器の被害に遭ったことも、魔女であった父のせいで数多のロスト・テクノロジーが起動して土地が焼け野原になったことも、全て本人の口から聞いている。


 だが、少なくとも彼女の知る両親の姿はそんなものではなかった。


「あなた軍人でしょう、そうでしょう! 知ってるんだから。戦争の責任を全部人におっつけて、それで自分たちは平和に暮らしてるって知ってるんだから!」

「お、おい待て嬢ちゃん、危ね、おい!」


 魔女とその家族、それにアムニシェルの母の様に天才的な技術を持った人間は、多くの場合国家単位で疎まれる。

 彼女の母もまた、戦争責任を問われて国家追放された。その胎の中に、アムニシェルが宿っている正にその時だ。


「アミー駄目だ、落ち着いて。……バール、今のはお前が完全に悪いぞ。自分の家族を悪しざまに言われて、怒らない人間がいるものか」


 身を乗り出して憤慨するアムニシェルの体を受け止めたエドモンドが、鋭い声で男を諭した。

 そうして叱られると、男の方も悪いことをしたと思ったのか、その巨躯を丸めて「悪かった」と呟いた。虫の鳴くような声である。


 今にもかんしゃくを起こして泣き出しそうなアムニシェルをなだめすかして椅子に座らせたエドモンドは、さっさと挨拶をしろと男の肩を小突いた。

 成年というには少し年を取っているが、中年というのも少し惜しい。年は三十代の半ばか、それより少し若いくらいだろう。


「あー、嬢ちゃん。さっきは悪かった。俺ァバルトロメウっつーもんだ。バルトロメウ・ジェラルド。アンタがさっき言ったみたいに、元軍人さね。シュトレーゼ帝国ってわかるか? あそこの元大佐だった」

「シュト……戦敗国で、一番大きかった国のこと?」

「そうそう」


 バルトロメウはにやっと笑って、その傷だらけの手を撫でた。武骨な手だ。もしかして、何か製造業をやっていたのかもしれない。

 思わず職人の目線で彼の手を凝視するアムニシェルに、バルトロメウは大げさだと言ってまた笑う。


「そりゃ買いかぶりすぎだぜ嬢ちゃん。こりゃ単に社会奉仕の痕だ。つい最近まで俺ァ収監されてたのさ」

「収監? あきれた、元大佐様ともあろう人が盗賊でもやらかしたの?」

「んなわけねーだろ。下級とはいえ戦犯扱いだ。上司はみんな責任取って殺されて、俺だけ生き残っちまった」


 戦犯。

 その言葉に、思わずアムニシェルの背筋が粟立った。

 相変わらず豪快に笑い続けるバルトロメウの言葉を引き継いで、エドモンドが少し困ったように首を傾げた。


「彼はつい最近、帝国の大審議で国外追放を言い渡されてね。この街に流れて来たのさ」